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ピアノの音色に彩りがあることを教えてもらったこと

20代の頃に知的障害者施設に勤めていた。
高校を卒業して福祉とは関係のない会社に数年勤めていたが、障がい者のボランティアサークルに参加したのがきっかけで知的障がい者と関わる仕事がしたいと思い転職した。

知的障害者施設に勤めて間もない頃に上司や先輩職員からよく言われたことは
「彼ら(利用者)に教えるのではない。職員が彼らから教えてもらうのだ」

私はこの言葉を言われるたびに違和感があった。
職員の主な仕事は、知的障がい者へ指導したりサポートを行うことだ。
なぜそのようなことを言うのだろう。

小学生の頃、ピアノを習っていた時期がある。
母から「ピアノ、習う?」と聞かれ、深く考えずに「うん」と答えたら、家からちょっと離れたピアノ教室へ通うことになった。
何気なく返事をしただけだったから、ピアノに対する憧れや上手く弾きたいという気持ちはなかった。
なので小学校の2年生から4年生まで通ったが、かろうじて簡単な曲を両手で弾ける程度にしかならなかった。

上達しないままピアノをやめてしまったことで、困ったことや後悔したことは特になかった。
ピアノが好きと思ったこともない。
ピアノの伴奏を聞いても、私にはピアノの音が鳴っているだけのことでしかなかった。
要は音楽に関して興味もセンスもなかったのだ。

私が施設で働いていた頃に「精神薄弱者」から「知的障害者」に名称が改まった。
25年近く前のことだ。
言葉のイメージから精神薄弱は知能も心も虚ろな状態で何も理解できず何も感じることができない、そんな印象を与えた。
不適切な言葉として「知的障害」へと名称が変更された記憶がある。

それでも「重度の知的障害者」と聞けば、何も理解することができないイメージがある。
知的障害のある人が、公共の場で挙動不審な動きをしたり奇声をあげることがある。
何もわかっていないからそういう行動をするのだ、とあからさまに奇異な目を向けたり、あるいは嘲笑する人もいる。
本人が何も理解できないと思って、平然とそのような態度をとる人を幾度か目にしてきた。

でもそうではないのだ。
知的障がい者はそういう周りの空気を感じている。
自分は周囲に受け入れられていない。
そのことを表情に出したり言葉に出したりはできないけれど、そして自分の言動をどうコントロールしたらいいのかわからないけれど、きちんと心の奥底では理解しているのだ。

知的障害者施設にAちゃんと呼ばれる50代の女性がいた。
彼女は重度の知的障害があり、話す言葉は限られた言葉だけだった。
だけどいつも笑顔でひょうきんな雰囲気から、彼女は利用者や職員の人気者だった。

その彼女がある晩、激しく泣いて訴えてきたことがあった。
「Aちゃん、バカ! Aちゃん、バカ!」
普段の彼女の様子とあまりにも違うため、一体何を言っているのかわからなかった。
こちらをまっすぐに見つめてくる泣き顔を見ながら、理解した。
「私(Aちゃん)はバカなの!? 私はバカなの!?」
そう問うてきたのだ。
「違う、Aちゃんは違うよ」 と必死で答えた。
するとAちゃんの表情は和らぎ「うん、うん」と自分を納得させるように何度もうなづいた。
Aちゃんは誰かから辛いことを言われたのだろうか? 
それとも、これまでにあった嫌なことを思い出したのだろうか?

翌日にはいつものひょうきんなAちゃんに戻っていた。
納得して気持ちが切り替わったのか、それとも昨夜のことを忘れてしまったのか?
わからないけれど、彼女は他人からプライドを傷つけられた悔しさを心の底から訴えてきた。
あの晩の強い意志を持つ瞳からこぼれた涙を私は生涯忘れない。

ピアノの音に彩りがあることを教えてくれたのは、日中は乗馬療法の作業場で活動するK君だった。
20代のK君は重度の自閉症を伴う知的障害があり、会話を交わすことはほとんどできなかった。
とはいえ、日常生活において限られた範囲内のことであれば、自分のことは自分で行うことができた。

K君には自傷行為があり日中起きている間、自分の頬を自分の右手でひたすら打っていた。
絶えず自分の顔を打ち続けているため、頬は赤黒く腫れあがっていた。
その腫れあがった顔がK君の顔になっていた。
本来のK君の顔を私は知らない。

なぜK君が絶えず自傷行為をするのかについてはわからなかった。
施設で暮らしている何年もの間、ずっと自傷していたのだろうか。
それとも施設に来る前から自傷行為はあったのだろうか。

健常者として生きる人たちにも個性の違いがあるように、知的障がい者にも性格や能力の違いがある。
K君はきっと繊細な性格で自分の障害についてもわかっていたのではないかと思う。
どうして、自分は障害者なのか?
他の人にできることが、なぜ自分にはできないのか?
苦しく行き場のない思いを抱え込んでしまい、自分の頬を打ち続けてしまったのだろうか。

K君の自傷行為は、ピアノの伴奏が流れている時だけ止んだ。
ピアノの伴奏を聴いている間は普段の硬い表情から柔らかな笑顔になって、そして嬉しそうに曲に合わせて体を揺らした。

私はK君の笑顔を初めて見たときに、ピアノの音はこんなにも人の心に彩りをもって響いてくるものなのだ、ということに気付いた。
ピアノの音色に対する豊かな感性を持つK君に出会わなければ、私は今でもピアノが奏でる音の素晴らしさを知らないままだったかもしれない。

この数年後にピアノを習い始めた。
なかなか上達しないのは小学生の頃と変わらなかったが、ピアノを弾いて音色を聴くことが幸せな時間になった。
残念ながら結婚して以来レッスンは中断してしまったが、いつかまたピアノを習いたいと思っている。
そしてジブリの曲を軽やかに弾いてみたい。
K君が笑顔で聴いていた「さんぽ」の曲を。

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