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-Disability-

障がいとは、目に見え形あるものだけではない。
時に障害者手帳を持っている人だけが障がいを抱えているわけではない。

時に人生とは理不尽なものである。
どんなに頑張っても乗り越えられない"壁"が立ちはだかる。
それは努力しても報われない。

私は産まれたとき泣いていなかったそうだ。
もうそこから産まれつきの身体の弱さが始まっていた。
小児喘息、虐待、虐め、愛着障害、社交不安障害
鬱病・適応障害・自律神経失調症・睡眠障害

脊柱側弯症と小3で発覚し、コルセットもした。
しかし良くならず中2で手術。
後遺症が残らないはずなのに原因不明で痛みが残った。その痛みは年々増している。

今は手足の痺れと麻痺による痛みの症状も出始めた。このまま治らなければいつか車いす生活になるかもしれない。
そんな状態でも身体障害者手帳は交付されない。

どれも目には見えないもので理解が難しい。
時には "サボり"と言われ、"偏見の目"にも苦しんだ。

手術すると決まったとき、周りの大人は"代わってあげられたら"と口を揃えて言ってきた。
子どもながら"同情するなら金をくれ"ではないが"代われるものなら代わってくれ"と思った。
そこから感情が乏しくなったのかもしれない。

しかし、報われないことばかりではないと思えたときが何度かあった。
ここ最近では、施設にいる父方の祖母にようやく会えた。
もう緑内障で目も見えない、元々患っていたリウマチで指先も曲がってしまっている、人と会話をする機会が少ないため、聴力も落ちているが補聴器で何とか会話ができた。

姉と父母、祖父で会いに行ったが私のときが一番話が長かった。
それを見て、祖父が大変だ。と言った。
私は"大変"とは思わなかった。祖母は一人部屋で何も見えない・聞こえない部屋で数年暮らしている。

せっかく来てくれたのに顔が見れないのが残念だと言いつつ、たくさん昔の話をしてくれた。
祖母が子どもの頃は意外とヤンチャだった話など、聞いたことがない話ばかりで、新鮮な話しだったため寧ろ聞くのが楽しかった。

福祉を学んでいた私は、そういえば認知症の方は若い頃の話をよくするというワードを思い出し実感した。こういうことなんだなと。
話を繰り返すこともしばしばあったが、そんなことより祖母が楽しそうにたくさん話していることの方が嬉しかった。

そんな祖母と私のやり取りを見て家族は満場一致で "ゆりはカウンセラーに向いている" と言われた。それがとても嬉しかった。
産まれつき、身体が弱く障がいがあり、迷惑をかけてきた私が今、人の役に立てているんだと。
反対を押し切ってまで福祉の道を進んだことに意味があったと思えた。

それは母方の祖父を亡くしたときにも感じた。
突然の末期がんの宣告。
元気だった祖父が肺がんだなんて、受け入れられなかった。
しかし、現実は容赦なく襲いかかってくる。

(続)
疲れたのでここまでにしよう。
また気が向いたら続きを書きます。

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