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仕事の入門書と桜咲く牡丹雪

春先の雪が静かに舞い降りる。
桜の花が開くこの時期に雪が降ることは珍しく、美しさを感じさせる。
まるで、自分の人生における特別な章が始まる予感を告げるかのようだ。

私が18歳の時、レストランで見習いとしての日々を過ごしていた。それは、まるで人生の入門書をめくるような、新鮮で充実した時間だった。

職人の世界。18歳の自分はとにかく色々な事をやった。いい先輩にも恵まれた。
色々な事を教えてくれた。
例えば「見て覚えろは、時代にそぐわない。けど、見て自分で考えてみろ。必要なことは教えてやるから、そこから自分で考えて仕事に取り組め」という先輩の言葉は、私の仕事に対する姿勢を根底から変えた。

まるで、一つ一つの動作に意味を持たせ、自らの頭で考えることの重要性を教えてくれた。

また、「包丁が切れない料理人はいない。もし、いたとしたら頭の切れないやつだ」という厳しい言葉は、プロフェッショナルとしての基本、つまり道具の手入れの徹底を叩き込んだ。

さらに、「きれいにしろと言われたら負けだ。汚いのは論外だ」との教えは、仕事場の清潔さが自己責任であることを教えてくれた。職場のどんな角度からも見える美学と責任感を、私はそこで学んだ。

「視野を広く持て。ただ料理を運ぶだけでなく、お客様の様子、ホールの状況、調理場の動き。ただ、歩くだけではなく意識した目をもって歩け」というアドバイスは、仕事をする上での周囲への気配り、状況認識の大切さを教えてくれた。この言葉は、単に料理を運ぶだけでなく、その先にある「サービス」の本質を私に理解させた。

レストランでの学びは、仕事に限らず人生にも深く関わるものだった。「お前の友達の悪口を言う女はやめろ。お前自身を否定しているのと同じだから、価値観が合わない」という言葉は、人間関係における深い教訓を私に与えた。

事実、今でも自分の周囲にいる人間でこの言葉に当てはまる夫婦や恋人は別れていった。不思議なものだ。

そして、父親になるという人生の大きな転機の際、料理長から2人にきりになった時のこと。料理長がふと話をしてくれた。
「嫁姑問題は、どこの家でもあるものだ。だから、そんな問題に直面したら、必ず自分の奥さんの味方になれ」という助言があった。

「お前の家に嫁ぐ奥さん以外は血のつながっていない人間だ。そんな中で、お前も奥さんを責めたら味方が一人もいなくなってしまう。お前と母親は親子だ。仲直りは容易にできる。奥さんと義理母という立場は仲直りはできず溝しか残らない。」
今思えば、おそらく、料理長も経験したことだから教えてくれたんだと思う。

しかし、良い職場ではあったが職業的に拘束時間が長いのと給与面で家族を養える事ができないので、辞めることになる。

職場を離れる決断をした時、先輩たちからの「自分の人生だ。ただ、お前がやってきた事を次の仕事場でもやっていくんだぞ。そうじゃないと、うちの店が恥かくからな」という言葉は、私を新たな道へと背中を押してくれた。彼らの言葉は、どんな環境にあっても、学んだこと、経験したことを生かし続けることの重要性を教えてくれた。

辞める直前の、桜が咲く中での珍しい雪の降る日があった。今では簡単に写真が撮れる環境ではあるが、当時はカメラが無いと写真が撮れない時代。「桜と雪は珍しい!!」と先輩が言い出して、写真を撮ろうという事になった。

先輩たちと使い捨てカメラを休憩時間に
近くのカメラ屋さんに買いに行った。
私たちは、思い出せないほどくだらない話をして笑い、そして、桜咲く雪の中で先輩たちと写真を撮った。

今でもその時の写真を大切にしている。
その写真は、色褪せてはいるが、学んだ教訓、共有した瞬間、そして前に進む勇気をいつも私に思い出させてくれる。

そう、人生の入門書のページ。教室では決して教えてくれない、貴重な人生の知恵を、私はレストランで学んだ。そして今、再び雪が舞うこの日に、私はあの時学んだことを、仕事に、人生に活かしている。

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