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アジア紀行~タイ・アユタヤ遺跡①~

フアランポーン駅からアユタヤ駅へ

夜中に3度も目を覚ます。ホテルの部屋のクーラーが効きすぎていたせいだろうか。6時に起き出して外を見ると、昨日からの雨がまだ少し残っていた。
7時過ぎ、タクシーでフアランポーン駅に向かう。町はすでに渋滞が始まっている。フアランポーン駅はバンコクの中央駅で、さすがに大きく立派だ。

フアランポーン駅

フアランポーン駅はバンコクの中心地からはずれた華僑地区にあり、バンスー駅への移転が決まっている。2021年12月には「お別れ」のセレモニーが実施された。(写真 日本経済新聞社)

窓口でアユタヤまでの切符を購入。わずか15バーツ。当時のレートで45円ぐらいだ。ただし3等客車である。
午前8時、突然タイの国歌が駅全体に流れる。人々は全員、駅の中央に掲げられたプミポン国王(当時)の肖像に向かって直立する。タイ人にとって、国王は尊敬と親しみの対象である。列車は7分遅れで出発する。同じ車両に乗っている客は20人ぐらい。向かい合わせの4人用座席をひとりで占有する。
雨はほとんど止み、窓を開けると外の世界がくっきり見える。高い建物や民家が後方に過ぎ去っていく。やがて景色は郊外の様相を見せ始める。列車は急ぐ気配もなく、のんびりと北上する。
物売りが何度も通路を行き来する。焼き鳥・ソーセージ・果物・水・弁当・ピーナッツ・・・、ハンモック売りまでやってくる。
いつの間にか列車は、ガシャンガシャンと大きな音をたてて、だれにも邪魔されないぞというような勢いで突っ走っている。
出発してもう少しで2時間、と時計を見ていると、突然のようにアユタヤ駅に到着した。駅舎に「AYUTTHAYA」と書かれている。

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さあ、出発だ!

アユタヤ遺跡は、14世紀から18世紀にかけてこの地で栄えたアユタヤ王朝の跡である。周囲を川で囲まれた要害の地で、歴代の王は信仰心に篤く、王宮の周辺にたくさんの寺院を建立した。
しかし、1767年にビルマ(ミャンマー)の攻撃を受けて、アユタヤ王朝は消滅してしまった。その時に、アユタヤ市内の建造物や石像は徹底的に破壊され、ほとんどの寺院は廃寺となったという。トップ画像の石仏の頭部がないのも、その時の名残であろう。

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写真 Wikipedia

アユタヤの中心部は、歴史公園になって整備されている。今回訪れたのは、この公園内の遺跡群だ。

アユタヤ駅を出ると、すぐ前に「FOR RENT 30B」という看板を掲げた店があった。広い公園を自由に回るには、自転車がちょうどいい。ノートに名前を書いて、30Bを支払って自転車を借りる。いよいよアユタヤ巡りの出発だ。
まず駅から南に下り、プリデイ・ダムロン橋を渡って遺跡群のある公園内に入る。前方に、煉瓦造りの廃寺が現れる。

(この続きは次回に掲載します)



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