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偶像(アイドル)とは言の葉に咲く花

やっとやっと1日休みが取れたので、朝からコーヒー引いて飲んで、頭の中を整理する時間が取れた。その整理する作業の一環としてNOTE書いてます。
さてさて、振り返ることとしてLayn 5th ワンマンライブ『月と太陽』BLAZE公演が無事終了しました。

祝い花がめちゃくちゃ可愛い。ありがとうございます。
今回のテーマとして、照らされるものと照らすもの、月と太陽、つまりはアイドルとファンの関係をここ半年くらいかけて考えて作ってきました。
推すこと推されること

いまや社会現象というか、当たり前のように使われる“推す”という言葉。だけど僕自身、推しはいないし、もちろん推されることもない笑。ずっとずっと意味不明なんだけど、一番身近だったこの現象に改めて向き合い続けた半年だったなぁと。前回の記事に書いてある通り、『月と太陽』という楽曲でその歪な共依存のような関係をちゃんと描けたなという実感はあったんだけど、何かしっくりこないというか、すごく遠目から眺めて結論を出している感じがして、気持ち悪かった。

だからこそ、もう1曲、新曲として1人称の月と太陽を描きたかった。いろいろ頭の中をグルグルとめぐらせて、そして実感として描いた曲が『言の葉に咲く花』です(リリースはもうちょい待ってね)。

この楽曲のつまるところは“推すということは、言葉では表現できない”。だけど空虚ながらも、足りないながらも、何度でも『君が好き』と言い続けること。君の存在以外、この胸の想いは表現できないってわかってるのに、たとえ君に届かなくても、好きって言い続けること。そしてその伝わらない“痛み”が自分にとっての存在証明なのだということ。

言の葉の上に一輪の花を咲かせよう 誰かがそれを偶像と呼んでいた

Layn『言の葉に咲く花』

当たり前のことだけど、照らすものも照らされるものも、いざステージを降りれば同じ人間。偶像(アイドル)とは、不自由で表現できないはずの言葉の上に咲いた一輪の花のようなものなんだろうなと、約半年間、このテーマと向き合ってきて感じたことでした。

Laynは4月27日に斉藤みるちゃんが卒業して、新体制として次の場所に向かいます。正直、次に向かうためにまだ心の整理もできてなかったし、気持ちの切り替えもできてなかった。Laynワンマンからcomme moiの現体制ラストワンマン、佐藤ノアとの2週連続名古屋出張を終えて、昨日、みるちゃんの最後の生誕祭までノンストップで走り続けてたので、やっと心と体の休息が取れます。Laynの現体制が終了してしまうことは、とてもとても寂しいけれど、あとで振り返ったときに「あの頃があったから今がある」って思える経験に必ず変わっていくことは、人生経験として知っているので、明日以降しっかり次を模索していきます。
ワンマンに来てくれた方、遠くから楽曲だけでも聴いてくれてた方、ありがとうございました。

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