見出し画像

書評・見城徹『読書という荒野』

ひと月にだいたい3~4冊くらい本を読むのですが、流れるように情報を仕入れて読み終えると、そのまま本を会社にTAKE FREEで置いておくっていうのが今までだったのですが、『読書という荒野』を読んで自分の読書体験がどれだけ薄っぺらかったかということを思い知らされたので、今日から少しでもためになった本は必ず書評を書くという習慣をつけようと決めました。

ということで、第一弾はもちろん見城徹『読書という荒野』。

伝説の編集者だけあって、書評といっても自分の言葉を付け加えることができないくらい言葉が洗練されて熱を持っている。あとがきに書かれていた内容が見城さんの読書に対してのすべてなのかなと個人的に思う。

さて、ここまで読書について、そこから獲得する言葉について、そしてその言葉を駆使する思考について書いてきた。何度でも書くが、正確な言葉がなければ、深い思考はできない。深い思考がなければ、人生は動かない。
自己検証する。自己否定する。それを、繰り返し、繰り返し、自己嫌悪との葛藤の末に自分の言葉を獲得する。その言葉で、思考して、思考し切る。その格闘の末に、最後の最後、自己肯定して救いのない世界から立ち上がる。認識者から実践者になる。暗闇の中でジャンプする。人生を切り開く。  
読書はそのための最も有効な武器だ。

僕が悪く言ってしまえば時間潰しや情報入手のためにしていた読書という行為は、見城さんにとっては人生という戦いを勝ち抜くための、最大の武器だというわけだ。じつはここ最近、ビジネス書ばかり読むようになっていて小説を読む機会が極端に減っていた。学生の頃は逆に小説ばかりを読み漁っていた。たぶん、学生の頃は時間が有り余っていて、今は時間がなくてビジネスマンとして仕入れなければいけない情報が多くなっているから、そうなっているんだと思う。

見城さんは読書について、こう書いている。

もちろん、仕事のために必要な情報を本から取得するのは悪いことではない。しかし僕が考える読書とは、実生活では経験できない「別の世界」の経験をし、他者への想像力を磨くことだ。重要なのは、「何が書かれているか」ではなく、「自分がどう感じるか」なのである。

ビジネス書には結論やそこにいたるまでの過程は書かれているけど、本来ビジネスの裏に潜む当事者の熱や、見城さんの言葉を借りると“当事者が胸をかきむしりながら思考し、汗と血を流しながら実行するプロセス”がある。そこはビジネス書には書かれていない。そういう意味でも改めて小説や詩文を読んでいこうと思った。そして大事なことはただ読むだけではなく、読んだ後に自分と向き合うことだと思う。

見城さんは無謀な挑戦をするとき、高橋和巳さんや吉本隆明さん、ヘミングウェイらを読み返すそうだ。彼らの書いた物語に改めて自分を置き、自分の弱さを思い知らされ、同時に自分を鼓舞する。

『読書という荒野』は、読書という行為をさらに深いものに、そして人生の武器になるように教えてくれる、叱咤してくれる、読書をする前に読む本だ。

この本を読んだ後、読書に向かうと見城さんが語りかけてくる(完全に妄想だけど)。

「読書に言葉に、そして自分の人生に、真剣に向き合っているか?」と。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?