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WEGO退職エントリー③

株式会社ウィゴーの中でDOKUMO(インフルエンサーのはしり)のシーンを育てていった僕は、2014年にWEGOの100%子会社である株式会社レキシントンの中でタレント部門を立ち上げた。

元々雑誌編集者時代に芸能事務所とお仕事をしていたので、芸能をやることの難しさや既得利権を知っていたので中々踏み出すことができなかったけど、ついに踏み出すことにした。それはWEGOに対しての違和感があったし、SNS世界では既存の芸能界にはない活動ができると思ったから。当時のORICON NEWSでその頃の心境を語っていた記事が、今読んでみるとすごくわかりやすい。

スマホ芸能界という新しい僕らの居場所を作るために事務所を作り、所属の一人目は、こんどうようぢだった。

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テレビ朝日のレギュラー番組も始まったりして、芸能生活が始まった。志村禎雄、吉次玲奈などなど、所属もDOKUMO BOYS&GIRLSの中から増えていった。同時にこのシーンがでかくなっていく象徴として、イベントLOOPがあった。

vol.1/ベルエポック美容専門学校(100人規模)、vol.2/原宿アストロホール(300人規模)、vol.3/SHIBUYA O-EAST(800人規模)、vol.4/代々木第二体育館(1500人規模)、vol.5/TOKYO DOME CITY HALL(3000人規模)、vol.6/ZEPP TOKYO OSAKA(3000人規模)、vol.7/ZEPP TOKYO OSAKA3DAYS(6000人規模)、vol.8/代々木第二体育館(3000人規模)、vol.9/STUDIO COAST(2000人規模)。

SNSを使って人気を集めていた僕らはイベントをやるにあたって、ひとつの壁にぶち当たった。コンテンツ力の無さ。つまり芸がないってことだ。

そういう理由もあってファッションショーくらいしかできなかったこのシーンから、音楽を始める人たちが出てきた。エイベックスからこんどうようぢ、ソニーミュージックからXOX、suga/es、DRESS_No.、#ME*、ビクターレコードからZOLA、インディーズだったけどれいん、8BEATSなどなど。

あとは俳優をやる人間も増えてきた。木津つばさが2.5次元と呼ばれるアニメや漫画、ゲーム原作の舞台に出始めた。ようぢや士門がウェブドラマに出たり、藤田富が仮面ライダーになった。

周りからは順風満帆に見えてたのかもしれない。化粧する男の子たちを“ジェンダーレス男子”と名付け、本も出版した。

ジェンダーレス男子について

世界的なメディア『NEW YORK TIMES』にも取り上げられた。

だけど時間は当然のように過ぎていく。

高校生だった所属者たちも、気づけば全員20歳を越え出し音楽畑のメンバーも解散や活動休止が相次いでいく。永遠だと思ってた時間はあっという間に過ぎていく。

↑ごーはらが作ってくれたこの動画が、このシーンで起こったことのすべてを表現してくれてると思う。

そんな中、親会社ウィゴーが投資ファンドに買われた。

ここからやっと退職エントリーっぽくなっていきます。続きはvol.4で笑。


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