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人生が二度あれば 人生50年から100年に変わりました。

こんにちは、
こめまるです。

人生50年

そう頭に刻み込まれて生きてきました。

僕が幼い頃は父や母方の叔父たちは、人生50年、という言葉を口にしていました。

祖父は僕が大学生の時に70歳で亡くなりましたが、幼い頃から働いている姿を見たことがありません。

趣味人で、よく尺八を吹いたり、仲間と囲碁を打ったり、トノサマガエルを餌付けしたり、スズムシを育てたりする人で、逆にそんな姿しか憶えていません。
いつも母の実家に行けばいたので、多分会社勤めではなかったと思います。

僕が幼い頃は、50歳を少し過ぎたくらいの年齢だったと思います。

だから当時の僕は、幼な心にも自分は50年の人生を歩むのだな、それ以上生きるなら余生として静かに生きるんだな、と漠然と思っていたものです。

人生が二度あれば、あれから50年

父は今年二月で六十五
顔のシワはふえてゆくばかり
仕事に追われ
このごろやっとゆとりができた。

これは1972年、今から50年前にリリースされた井上陽水さんのアルバム『断絶』の中の『人生が二度あれば』という曲の出だしの歌詞です。

陽水さんのお父様は、このアルバムが出た年に亡くなられたと翌73年にリリースされたライブアルバム『もどり道』の中で陽水さん自身が語っています。

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当時の平均年齢は男性で70.5歳、女性で75.9歳でした

アルバム『もどり道』の中で陽水さんは、福岡で歯科医をやっていた父親が故郷の高知に戻って、よほど嬉しかったようで、はしゃいでいたら3日目に倒れそのまま帰らぬ人になったことを語っていました。

中学の卒業アルバムの寄せ書きに当時僕が密かに思いを寄せていた女子が『人生が二度あれば』と書いていたのを見つけ、これどういう意味やろ?とモヤっとした記憶があります。

ギターを始め、陽水、拓郎、かぐや姫の曲を歌いだしたのは、もう少し後のことで、その時やっとあの寄せ書きは、陽水の曲名から取ったのか、と思ったものです。

当時は、僕の頭の中には50年の人生どうやって生きるんやろ、とぼんやり考え始めていました。


あれから50年 人生100年時代がやって来た!?


人生50年という言葉が頭に刻み込まれてから50年。

あれ?なんか変。

入社した時の定年は55歳だったのにある時から60歳に延びました。
当時は、定年なんて、大体生きてるかどうかもわからないのに、と思ったものです。

60歳になった。定年になった。あれ?結構、元気なんだよね。

40代頃まで考えていた60歳ってもっとよれよれで思考もボンヤリしていると思っていました。

それに気づきだしたのが、50代の中頃。
こんな元気なら、定年後に何もやらないなんてもったいない。
定年後は、うるさい会社を飛び出すぞって感じになりました。

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そうこうしていると世間では「人生100年時代」と言われるようになっていたのです。

以前、テレビを見ていたらたまたま元気な100歳の方を取材している番組がありました。
たしか100歳近くになっても元気に現役で働いている方や何かの活動をされている方の取材番組でした。

皆さん、とても100歳または100歳近いとは思えない方ばかりで、やはりいつまでも活動することは大切だな、と思ったものです。
女性の方が多かったと記憶しますが、いろんな人生を歩んでこられて、いろんな人生訓を述べられていたのですが、ただひとつある質問には共通な回答されていました。

その質問とは、「100年は長かったですか?
それに対して皆さんの答えは驚くほど同じだったのです。
あっという間でした

つまり生きた年数に関係なく、人生はあっという間ってことなんだと理解しました。

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山形県鶴岡市に加茂水族館があります。
そこはクラゲの展示と研究で世界的に注目されている水族館です。
またクラゲの展示を始めてV字回復をした水族館としても知られています。

そこの館長の奥泉和也氏が先日ラジオ番組で話されていました。
あまりにも面白いので聴き入ってしまいました。

特に印象に残っているのは、クラゲは不老不死または生き返ると言われているそうです。
つまりある年数生きると肉のような塊になり、そこからまたポリプが生まれて個体として活動を始めるというのです。
これを不老不死というのか生き返るというかは研究者によって違うそうです。

そんな話を来場客にすると皆さん興味を示すそうです。
そこで奥泉館長が「皆さん、生き返るとしたら何歳になりたいですか?」と質問すると、たいていの大人は、10代や20代と答えるそうですが、80歳くらいのお年寄りになると60歳に戻りたいと答える人が出てくるそうです。

そんな回答に館長が逆に興味を示し「どうしてですか?」と尋ねると「仕事や子育てやいろんなことも終わって好きなことが出来るから」と言われ、目からウロコが落ちるようだったと語られていました。
誰もが若い時に戻りたいと思うわけではないと知ったそうです。

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次は僕が好きなお話し。
ネット記事なので、本当の話なのか誰かの創作なのかは不明です。
でもちょっと教訓になるお話しです。

90歳のおばあさんにインタビューしたお話し。
「おばあちゃん、お元気ですが、何か後悔していることありますか?」という質問に対して、
60歳からヴァイオリンを始めなかったこと」とおばあさんは答えたそうです。

インタビュアーは、もっと若い頃のことを期待していて60歳の時と言われ逆に興味を感じたそうです。

そのおばあさんは若い頃から音楽が好きで、いつかヴァイオリンを始めたいとなんとなく考えていたそうです。
60歳になった時、仕事や子育ても一段落したので、始めようかと思っていたそうです。

でも家族の反対や自分でももう年だからと始めなかったそうです。
そこでおばあさんは、もしあの時始めていれば、と後悔しているのだそうです。

まとめ

人生100年時代と言われますが、あまり好きな言葉ではありません。

なんか最初に言い出したのは保険会社か金融商品を扱う会社ではないか?なんか金儲け臭がぷんぷんするぞって感じで(間違っていたらごめんなさい)。

ただ、実際100歳まで生きる可能性は増えたとも思います。
もう「人生が二度あれば」と嘆いている時代ではなくなったのかもしれません。

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僕は、一時期、アサヒビールを再建した樋口廣太郎氏の本をよく読んでいました。あるパーティーでお会いして、ファンなんですって握手して頂いたこともあります。

樋口氏の著書の中に「人生の最初と最後は自分の預かり知らないことなので、生きることを真剣に考えて行けばいい」という内容が書かれていました。

樋口氏の考え方はシンプルなものが多く、この本を読んだ時も、なーんだ簡単に考えればいいんだと思ったものです。

よく定年後に何をやっていいかわからない、という方がいらっしゃいます。
僕の答えはシンプルです。

知りたいことを知る

その行動を起こせばいいと思います。
会社員時代に知りたかったのに忙しくてそんな時間がなかったと悔しい思いをしました。
人生が二度あることにするのは、知りたかったことを知ることだと思います。

僕は自営でアフィリエイトをしていますが、知りたいことを知って、面白いと感じたコト、モノを人に紹介するという作業です。

それではお金にならないならば、アルバイトです。
シニア対象の正社員の求人はなくても、アルバイトならたくさんあります。

平日の日中図書館に行くことが多いです。そうすると明らかに僕より年上と思われる男性がソファに座って新聞を読んだりする光景を目にします。

当初は、居場所がないのかな?と思っていたのですが、観察していると中には、無心に調べ物をしている方も多くいらっしゃいます。

最近そんな年の上のおじさんたちにとても親近感を抱いています。

なに?知りたいことがわからない?困ったなぁ。
そんな時は、外に出ましょう。
犬も歩けば棒にあたる、プランド・ハップン・スタンスです。

おじさんの定年前の準備、定年後のスタート 

そしてこの本を読みましょう^^

付録
定年後「人生が二度あれば」

まだサラリーマンをしていた2018年8月にマネラボというサイトに定期的に寄稿してました。その時の記事も合わせて読んで頂ければ幸いです。

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