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君の名は… カール? シャルル? それともチャールズ!?

5世紀後半にゲルマン系フランク族によって建てられたフランク王国。カール大帝(Charlemagne / Karl der Große : 768-814)の時代には現在の西ヨーロッパのほぼ全域を治め、800年にはローマ教皇から皇帝の帝冠を授かり、ローマ帝国の皇帝となります(歴史的には初代神聖ローマ皇帝と位置付けられています)。とは言え、カール大帝の死後、フランク王国は分割相続により分裂し、現在のフランス、イタリア、ドイツの礎となっていきます…

で、古代ローマ、キリスト教、ゲルマン文化をヨーロッパ各地に広め、中世以降のキリスト教ヨーロッパの基礎を築いたことから「ヨーロッパの父」とも呼ばれるカール大帝ですが、ドイツ語を学んだ者として、カール・デア・グローセは頷けるけど、初めてシャルルマーニュ(仏)と聞いたとき、思わず それは誰? と思ってしまいました。英語ではチャールズ・ザ・グレートって… まあ、偉大な方なんですよね…

さて、このカール大帝が王宮を建て、皇帝の居住地にふさわしい街として栄えた街がアーヘン(Aachen)。街の名称は古高ドイツ語の aha(鉱泉)が由来とされています。ちなみにフランス語ではエクス・ラ・シャペル(Aix-la-Chapelle:礼拝堂の泉)と言うそうです。

その名の通りアーヘンはローマ時代から温泉保養地として有名で、温泉を好んだカール大帝のお気に入りの街でもありました。
カール大帝は死後、自身が建設を始めた宮廷教会、アーヘン大聖堂に埋葬され、宝物館には黄金の胸像も展示されています。
また、アーヘン大聖堂では936年から1531年にかけての約600年間に神聖ローマ帝国の30人の皇帝の戴冠式が執り行われたことから、カイザー・ドーム(皇帝の大聖堂)とも呼ばれています。

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(訪問時、修復中でした。)

このような歴史的、文化的建築物として、アーヘン大聖堂は1978年に世界遺産登録第一号として登録。

大聖堂の内部は今でも金色に輝いています。

大聖堂の向かいには市庁舎。
この建物の基礎もカール大帝が築いたそうです。

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そして、片隅にはかわいいラーツケラー(市庁舎レストラン)
ひも解くと、中世の頃、都市部でワイン取引をするためには小売独占権を所有していた市庁舎から販売許可をもらわなければならなかったため、市庁舎に上質なワインが集まり、やがて酒場、食堂としてRatskeller(市庁舎酒蔵)が広まっていったそうです。

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ドイツにも地名と結びついた色々なお菓子があります。ニュルンベルガー・レープクーヘン、リューベッカー・マジパン、ドレスナー・シュトーレン等が有名ですが、アーヘンにもプリンテンという焼き菓子があります。
アーヘナー・プリンテンはレープクーヘンの原型といわれるスパイスクッキー。この手のスパイスがOKな方は、是非お試しください。

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(2001年の回想録: 写真はフィルムカメラにて撮影)


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