見出し画像

山林と里山 荒廃の意味するところ【日本・近現代】

在りし日の山林の姿… もはや目にすることは叶いませんが、当時の風景画からその様子をうかがい知ることができます。

江戸時代の浮世絵師、歌川広重によって描かれた東海道五十三次。日本橋から京の三条大橋に至る道中には緑あふれる森林など見当たらず、遠景の山の木々も貧弱で樹木もまばらにしか描かれていません。
さらに時代を下り、明治時代から昭和の中期に撮影された農村の写真にも、豊かな森の姿を見つけることができないのです。

江戸時代には森林資源を確保するため、幕府や諸藩、社寺等が伐採の禁止や制限を行いましたが、いくら持続可能な資源とは言え再生限界を超えて利用すれば枯渇は免れません。

森林資源の劣化のピークは明治時代と言われています。

1900年頃の針葉樹林といえば、土壌が貧弱で他の樹木が生育できないような荒地や砂地でも良く育つ、マツの林がほとんどだったそうです。

かつての里山とは、実は荒れ地だったのです。

明治維新が起こり、富国強兵を目指し、殖産興業、文明開化といった政策が推し進められ、急速な工業化と共に太平洋戦争に連なる数多の戦争が日本のエネルギー資源を使い尽くしていきます。

さらに戦後の復興においても数少ない自国の資源として木材が使われていきます。

日本の山林から樹木が消えた結果、山崩れや土石流、洪水や飛砂といった自然災害の被害は甚大なものとなり、戦後のカスリーン台風(1947)や伊勢湾台風(1959)といった豪雨災害による被害は乱伐の影響とも言われています。

また、山から流れ出した土砂は川を下りながら細かく砕かれ下流の浜に堆積。海岸の砂は飛砂となって陸に吹き寄せてきます。
一夜にして家一軒を埋めてしまうという様は、まさに安倍公房の「砂の女」の世界そのものです。

やがて、1950年代後半から60年代になるとエネルギー革命、肥料革命が起き、森林資源の回復が促されていきます。

荒廃した森林を復活させるに当たり、日本の固有樹種であり、生育も早く用途の広いスギの植林が進みます。
現在、日本の国土の約7割は森林ですが、約4割が人工林、かつその約4割がスギの人工林と言われています。

将来の需要を見越して現在の人工林の大半はスギやヒノキといった高級木材となる針葉樹が植えられましたが、戦後復興のための建設資材の供給に応えるため木材の輸入が始まると、安価な外材はたちまち国産材の需要を縮小させていきます。
円高による外国材の輸入増加や建築工法の変化によって、国産材は需要の減少から価格も低迷し、やがて林業は産業として成り立たなくなっていきました。

そのため、スギヤヒノキの収穫期を迎えた山は、顧みられることなく荒廃していくという悪循環に陥り、今では花粉症の原因として大きな問題となってしまったのです。

山林の荒廃とは乱伐や皆伐のみを指すわけではありません。
かつての搾取から皮肉なほどの飽和状態。

その昔、おじいさんが柴刈り木質燃料を拾いに出かけ、うさぎ追いしと歌われた里山には、適切な人の間伐手入れが必要とされているのです。

参考文献:
森林飽和
太田猛彦 著

2022年5月21日 小満

#森林
#環境
#緑
#樹木
#木材

#里山
#スギ
#ヒノキ
#花粉症

#最近の学び





この記事が参加している募集

#最近の学び

181,034件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?