見出し画像

今までのこと、これからのこと

本がたくさんある家ではなく、詩に関係する本は奇跡的に数冊だけある家でした。
おそらくまだとても幼い頃に、新川和江さんの「わたしを束ねないで」が含まれている何かの本を読みました。
すごいことが書いてある、こんなことを書く人がいる、こんなことを書いていい詩というものがある。
びっくりして。その本が家にあったことはとても幸運なことでした。
こっそりと詩を書くようになりました。
こっそり書くことがとても大切でした。
誰にも知らせない、誰にも知られない。そういうものが私にはある。
侵害されがちな生活の中で、詩は私だけのものでした。
こっそり書いた詩を、新聞にあった詩の投稿欄に、こっそりと送りました。
こっそり送ったのに、意外にも新聞に載って、誰にも言わずにそれを読みました。
新聞社から景品が送られてきて、誰にも見つからないうちにそれを郵便受けから取り出し、開封したら銀色のシャープペンシルが入っていました。
とても嬉しかったなあ。
それが小学生の頃でした。

中学生から大学生までの間に、なんだか頭の具合がおかしいと感じるようになりました。
それでもどうにか学校に行き、どうにか本を読み、勉強もしていて、周囲の人たちは気づかなかったようです。
具合がおかしくても、どうしたらいいのかわからないまま、それでも学校という中では生きていられました。
就職氷河期の氷河に流されたまま大学を卒業して、突然になにも肩書きが無い人になりました。
在学中の就職活動で疲弊してしまい、アルバイトもする気力をなくしたまま、数ヶ月過ごしました。
理由はわからないけれど、とにかく労働しなくてはいけない。そうしなくては居てはいけない。もし働けなくなったら死ななくてはいけないから、ともかく何かの仕事をしよう。
そう思って、事務パート職に就き、自分の保険証が持てたので精神科にかかりました。
かかったクリニックでは、初診からすごい量の薬を渡されて、律儀に服薬してフラフラになりながら働きました。
仕事中に意識が飛んで、居眠りしていると間違われたり。
会話している最中にすら意識が飛び、相手に驚かれたり。
今思えば異常な量の薬を飲んでいたのですが、初めてかかったクリニックだったので、異常さに気づきませんでした。
具合は悪くなるばかりで、どんどん自分を追い込み、仕事も辞めるよう迫られて辞めて、焦って眼鏡店で働き始めました。
眼鏡店は立ち仕事だから、きっと居眠りしないで済む、というだけの理由でした。
そんな理由だけで働けるわけもなく、なにもわからなくなった私は、一度目の自殺未遂をしました。
危篤一歩手前の状態だったらしいのですが、なぜか後遺症もなく、退院して自宅に居る生活になりました。
デイケアに通ったり、ポツポツとアルバイトをしたり。あまり記憶がはっきりしないままの二十代でした。

二十代の終わりに結婚して、四四歳で離婚しました。
現代詩手帖やユリイカに投稿していたのは、その間のことでした。
いつの間にか詩を忘れていたと気づき、覚束ないまま再び書くようになっていました。
詩を忘れていた間は、生存しているだけで手一杯だったみたいです。
再び書くようになって、こっそりではなく読んでもらいたいと、思うようになりました。
確かに私の詩は私だけのものです。でもそれは、手紙のようなもので、私が書いた私だけのものが誰かのものにもなりうるのです。
雑誌に詩を投稿することは、ですから手紙を送るのとほとんど同じことでした。
宛先が漠然とした手紙を送るようになって、しばらくしたら、応答がありました。詩が選外佳作になって、あ、本当に誰かが読んでくれたと、わかりました。
投稿していたのは十年間程で、現代詩手帖でもユリイカでも選外佳作のほうが多かったので、成績の良い投稿者ではありませんでした。
それでも、応答してもらえることが多かったのは、書き続ける動機としては有り余るものでした。
十年間も経つと、投稿していた初期に同じ紙面にいた人たちが、違う立場で書き手としていることも増えました。
それを眺めていて、私は自分も文筆業をやっていきたいのだろうと間違えていました。
最近になって、間違えていたことに気づきました。
私にとっての詩は、避難場所であり、かすかな交流のためのものでもあり、手の先からこぼれた分身でもあります。
それを書くことでお金をほしいと思っていないものであったと、気づきました。
ただ読んでもらいたいだけです。
読んでもらうということは、とても難しいことで、その上なにか反応をいただけることは、もっと難しいことで。
それでも読んでもらいたくて書いてきたので、なるべく人目に触れ易い状態にしてゆこうと思っています。

私は読書も困難ですし、学校で文学を学んだこともないし、なにも専門的なことがありません。
それでももし、私に何か書かせてみようと思う方がいらしたら、ひとまずご連絡ください。
金銭的なことにはこだわるつもりはありません。
なるべくnoteに載せている詩を読んでいただいて、その上でご依頼くださるなら、私もお話がききたいです。
メールアドレスは
komiyamatenko@gmail.com
です。よろしくお願いいたします。

*******

訊きたかった

教室の窓から紙飛行機が飛ばされた
すうっとなめらかに飛んでいった
どこまでいくんだろうと離れた席から見ていた
そうしたら風が吹いて
紙飛行機は校庭の端に落ちた
飛ばした子は
あははって軽やかに笑った
風が吹かなかったら
どこまでも飛んだかもしれない
どうやったらそんな折り方ができるの
その子に訊いてみたかったけど
私は喋ったことがない子だったから
訊けなかった
どうやったらあんな紙飛行機ができるの
夢みたい
誰に宛ててもいない手紙を書いて
紙飛行機に折って
見えなくなるくらいに遠くまで
飛ばしてみたかった
誰かがそれを拾ってくれたなら
誰かが手紙を読んでくれたなら
夢みていた
あの子に訊けたなら
夢ではなかったかもしれない

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?