小見山転子(元:竹村転子)

◆自作の詩を掲載します ◆『現代詩手帖』『ユリイカ』詩投稿欄入選歴あり ◆BOOTHで…

小見山転子(元:竹村転子)

◆自作の詩を掲載します ◆『現代詩手帖』『ユリイカ』詩投稿欄入選歴あり ◆BOOTHで詩集を通販しています。https://togetogerecord.booth.pm/ ◆メールアドレスkomiyamatenko@gmail.com

マガジン

  • 詩、海、おにぎり

    小見山転子(竹村転子)の第二詩集です。発行元:書肆ブン。22篇の詩を収録。2023年2月10日発行。雑誌『現代詩手帖』に投稿していた詩を中心にしています。

  • 詩を読み書きする入口、置いときます

    詩に興味はあるけれど、読むのも、書くのも、とっかかりが見つからない方々に。少しでもお助けできたら幸いです。

  • 水面を見上げて

    竹村転子(小見山転子)の第一詩集。私家版。30篇の詩を収録。2018年7月15日発行。雑誌『ユリイカ』に投稿した詩を中心にしています。

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小見山転子関連通販情報まとめ

小見山転子(竹村転子)関連の、詩集や詩誌やグッズの通販情報をまとめました。 ◉第2詩集「詩、海、おにぎり」通販 BOOTH−棘々堂 (小見山個人通販。匿名でお買い上げいただけます) https://togetogerecord.booth.pm 書肆ブン(出版元です) https://shoshibun.shopinfo.jp/ Amazon https://amzn.asia/d/i7AOLgg ◉第1詩集「水面を見上げて」通販 BOOTH−棘々堂 (小見山個人

    • 「鬱の本」で奈良美智さん関連書籍に二冊登場願いましたが。私は奈良さんの作品は、かわいい子供の姿をかりて「生きる強さ」を表していると、受け取っています。人間が根源的に、生きていこうとする力。一番弱い存在な筈の子供を、強く描いていると思います。

      • マガジンに纏めて、第一詩集と第二詩集を全篇noteで無料公開しています。紙の書籍としても発売中ですが、あえて。なぜ書いた物にお金を払ってもらうのかわからなくて。なぜ世の中の色々がお金と交換である前提なのかわからなくて。ご一読くだされば幸いです。

        • 合板の壁

          アパートの壁に油性ペンで物語を書き付けています。木目調の合板の壁です。気の向いたときにさらさら書いています。 二人暮らしの老夫婦、片割れが病を得て、弱っていき、亡くなり、独りになって、引越していった話。 中年の母親とその娘、しばらく二人で暮らしていたものの、喧嘩別れして娘が出ていき、母親も引越していった話。 若い恋人同士が暮らし始めて、たまに仲が悪くなっても、なんだかんだ一緒で、結婚して、子が産まれて、じきに引越していった話。 そういう、このアパートのこの部屋であったかもしれ

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        小見山転子関連通販情報まとめ

        • 「鬱の本」で奈良美智さん関連書籍に二冊登場願いましたが。私は奈良さんの作品は、かわいい子供の姿をかりて「生きる強さ」を表していると、受け取っています。人間が根源的に、生きていこうとする力。一番弱い存在な筈の子供を、強く描いていると思います。

        • マガジンに纏めて、第一詩集と第二詩集を全篇noteで無料公開しています。紙の書籍としても発売中ですが、あえて。なぜ書いた物にお金を払ってもらうのかわからなくて。なぜ世の中の色々がお金と交換である前提なのかわからなくて。ご一読くだされば幸いです。

        マガジン

        • 詩、海、おにぎり
          23本
        • 詩を読み書きする入口、置いときます
          2本
        • 水面を見上げて
          30本

        記事

          詩集の内容をここに載せる事には迷いもありました。でも、読んで頂きたい気持ちが勝りました。もしここで読んで気に入って、品物としての本をお手元に置いてくださるなら、本をお買い求めくださるととても嬉しいです。第一、第二、どちらの詩集も本ならではの良さもあります。宜しくお願いします!!

          詩集の内容をここに載せる事には迷いもありました。でも、読んで頂きたい気持ちが勝りました。もしここで読んで気に入って、品物としての本をお手元に置いてくださるなら、本をお買い求めくださるととても嬉しいです。第一、第二、どちらの詩集も本ならではの良さもあります。宜しくお願いします!!

          あとがき

          鮫のいる暗い水中に自分が沈んでゆく夢を、幼い頃に繰り返しみていました。湯船のお湯に青い入浴剤が使われていると、実は海と繫がっているのじゃないかと疑って入りたくありませんでした。 その夢もみなくなり、青いお湯も平気になった今でも、水がたくさんある場所は怖くてたまりません。水族館はお化け屋敷並みの怖さです。それもいつか平気になるのでしょうか。それはよいことなのか、そうではないのか。どちらでもないのかもしれません。

          話しかけたい

          表面張力がぱつんとはじけ飛ぶ 君は歌う 手段ではない 共通のおおきな存在に触れる テーブルのお茶を 数ミリメートル揺らす 歌を 君は環のように 知らない誰かが殺されて 私にも責任があります 毎日 毎日 誰かが殺されて 要らない人間なんて居ないのに 疲れてもせめて怒ります おおきな存在に触れる時間もとれず 生きて 殺される 環のように 関係している お茶を摘んでくれた誰か 話しかけたい ぱつんとはじけ飛んで べつの水面に辿りつくまでの 淋しい水滴 きれい

          詩、海、おにぎり

          詩を書くのはすてきなことじゃないの。 おにぎりに貼り付いたノリみたいなもの 海でとれたものはみんな嫌な味がする 血と海水は同じものなんだって 女の子は月に一度満ちるんだって わたし、女じゃないの 満ちたことがないから 自主的にノートに排出している お母さんがこっそり読んでいるの 知ってる わたしもこっそり読んでいるから おあいこ 男の子はそんなことしない たぶん お父さんはスキーにいったよ わたしが熱をだしていても いったよ 詩を書くのはすてきなことじゃないの! じかまき

          ただ一部分

          エアコンをつけていると その音が人の声にきこえてくる 薄くラジオがかかっているみたいに 何を言っているのかはよくわからない 病気でなければそんな事は起きないのだろうか 歴代の主治医から病気だと太鼓判を押されている けれど私と付き合いの浅い人からは よく詐病を疑われる 「本当は病気なんかじゃないんでしょ」 少し意地悪げに そう言われて治るならいいのにな 病気は根っこのほうを打撃してくるけれど 根っこそのものにはなれない なれないんだよあなたは 勘違いするなよ 病気に

          今いる所

          街中でふいに見かけた昔の知人のよう 本当にその人であったのか 定かではなくて そんなふうに訪れてくる記憶 一度さよならしたからには理由があり 少し軸を狂わせる でも ウエハースのように 懐かしさを含んでいたならば 溶けつつあるアイスクリームを 痺れた舌で逃してしまわないための 助けにだけなること ガラスの窓越しに見送って 冷えた銀色の器が置かれている テーブルをしっかり確かめるだけ

          いきちがい

          私は受け取らないし もう送られてもこない 私はたくさん送ったし 受け取ってもきた 繰り返し同じ夢をみる 繰り返し同じ人が現れる 一緒に白い御飯だけを食べて きらきらとたくさん話す 水のようなガラス窓 外は果てのない夜景 広い部屋は適温で 最後に私は眠ってしまう 目醒めると口の中が甘い 頼りなく打たれた 待ち針 陽の加減で判然としない 信号機 そういったものを 信じる とても不良だから 私たち 米を三粒 郵便受けに入れる おまじない 息を吹きかけて くるっと

          はなれる瞬間

          ちゃぶ台をはさんで 夫と向き合いお酒を呑んでいたら ふわあっと夫が遠くなって 座椅子やコップや音楽も遠くなって 自分がここに居るのかどうかもわからなくなった なんだろう どうして ほんとうかな 今までどうやって暮らしてきたっけ 結婚してからの十五年間を思い出そうとしたけれど あまり思い出せない 働いたり 泣いたり 眠ったり していたはずなのに なんでここに居るんだろう ほんとうにここに居るんだろうか もしかしてこれは夢かなにかなんだろうか 私は生きているのだろうか 夫も生きて

          どこへ行ったの

          なぜ赤インクは消えてしまうのだろう 「  に注意」の門柱の札も 背表紙の題字が赤かった本も すっかり色がとんで何もわからない なぜ大切なものは消えてしまうのだろう 消えてしまうだけではない 捨てることだってある 写真だって日記帳だって 捨てたことがあるじゃないか 消えたり 捨てたり してしまったものを 針に刺されるように思い出す時がある もうあいつらとは二度と会えない なんてことをしてしまったのだろう あの世にはどうせ何も持っていけないよ そんなことわかっている

          庭で

          私の庭には幾人かの人が埋まっている 埋まっている人たちは土にはならずに あくまでかたちを保ったままで 静かにそこに居る 私は その上を散歩したり 草花の種を蒔いたり 眺めて水を飲んだり とても穏やか 眠ると私は土の中に接続する 土は 温かいときも 冷たいときも ある そこで出逢う 幾人かの人 生きていた時と似たように 話したりもする でもわかっている もう生きてはいないことを だから とても穏やか 私も誰かや誰かの庭に埋まっているのだろう そしてやっぱり 眠ると出逢う

          物語

          人が劇的に死ぬ映画を観て 面白いと思うのはなぜだろう 爽快感すらおぼえる自分が確かに居る フィクションだからだろうか そうだろうか 史実にだってそれを感じることはある もう過去のことだからだろうか そうだろうか 違うだろ 現在進行形で 物語化は進んでしまう そこに落とし込まないと 生きてゆけないかのごとく 親しい人にはぼんやりだっていいから 生きていてほしいのに でもそれが叶わなかった時には やはり物語が立ち現れてしまうのか 起きたことを ただそのまま 受け取れたら いいのに

          ノートたち

          古い段ボール箱を開けていたら 何冊ものノートが出てきた どれも一文字も書かれていない 薄い罫線だけがおとなしく並んでいる 授業の記録をとる以外には 書くべきことを持たなかったのだ その頃の私は 何もできないと固く信じていた 君はどんなふうに 生きても 死んでも いいんだよ 今ならそう言ってやれる 昔の私と似ているが 明らかにもう違う筆跡で 詩を書くことができる 禁を破るために まずは 左手で鏡文字を 書いてみようか