詩を書いてみたいあなたへ−詩のエクササイズをしよう

0−はじめに


「詩を書いてみようかな」と思い立っても、なにを、どうやって書いたら詩になるのか、わからない方。
「詩を書いているんだけど、より良く書きたいな」という方。
そんな方のために、このテキストを書きました。


詩を書く、というと、「自分の思いのたけをぶつけなければ」「印象的だった体験を書かなければ」となりがちな方が多いかもしれません。もちろん、そのようにして書かれた詩は、とても良い詩です。ただ、実はとても難しい詩でもあります。個人的な思いや印象的な体験を、他の人にわかるように伝えるには、かなり頑張って書かなければならなかったりもするのです。きちんと書ききれないと、「この詩、なんのこと?なに言ってるの?」などという、悲しい反応をもらってしまうこともあります。

詩というものは、自由です。内容にも形式にも、「こうしなければいけない」という決まりがなにもありません。個人的な思いや印象的な体験だけが詩になるのではありません。それ以外の内容を書いたっていいのです。「朝ごはんにカツ丼なんてありえないだろ!もたれるよ!」「昨日観たテレビ番組ものすごくつまらなかったなー。」というような内容の詩でも、全く問題ないのです。

形式も、自由です。単語を短く並べてもよいですし、長い文字列を連ねてもよいのです。改行が全く無くてもよいですし、詩らしく見えるように何行ずつかの連に分けてもよいのです。

自由さを存分に活かすために、詩のエクササイズをしてみましょう。詩を書く基礎体力づくりをしておくと、どんな詩を書く時にも、必ず役立つと思います。

このテキストでお伝えするのは、詩を書くことへのハードルを下げる方法です。

簡単な言葉遊びから始めて、眠っている時に見た夢を詩にしてみるところまで、私なりのやり方をお伝えします。


1−ノートを一冊用意しよう


詩を書く時、何に書き付けていらっしゃるでしょうか。
ノートに書いている方もいれば、パソコンで書いている方もおられるかと思います。
ここでお勧めしたいのは、ノートに手書きする方法です。
ノートに手書きで書くと、一番の利点は書き直した跡が残ることです。書き直すとき、なるべく消しゴムでは消さずに、線を引いて消すといいでしょう。

書き直した跡を残しておくと、何がいいのかといいますと、自分の書き癖がわかる点です。「こういう時にこういう言葉や展開を書きがちだなあ」ということが、読み返してすぐにわかります。

書き癖を活かすにしろ直すにしろ、その癖自体を自覚しないことには始まりません。字がどんなに下手でもいいので、なるべく手書きをお勧めします。

次に、ノートの選び方です。

横書き罫線のノートは、なるべく避けてください。詩に限らず、日本語の本はだいたいのものが縦書きで書かれています。横書きで詩を書くと、読んだ時にかなり特殊な印象を与えます。ネット上でしか発表しないのでしたらそれでもいいのですが、ゆくゆくは本にまとめたい、という野望のある方は、最初から縦書きしたほうがよいです。

また、縦書きの詩を横書きに直すぶんには、困ることはあまりありません。しかし、元々横書きで書いてある詩を縦書きに直してみると、英数字が混ざっている場合には思わぬ不都合がでることがあります。そういった理由から、なるべくでしたら縦書きをお勧めします。

ノート自体はどんなものが良いかといいますと、安価で手軽に手に入るものが良いと思います。気合をいれて高価なノートを買ってしまうと、使うのがもったいなくなりがちですので、惜しげなく使えるノートにしましょう。

ノートの中身は、なるべくなら罫線の一切ない無地のものがよいです。罫線がないと不安な方は、縦書き罫線のノートをお勧めします。

こうして書いてくると、「めんどくさいなー、そんなのどこで買えばいいんだよ」と思われるかもしれませんが、実はどこでも簡単に手にはいる、うってつけのノートがあります。

それは、「ジャポニカ学習帳」です。

私はとくに回し者などではないのですが、ジャポニカ学習帳はなにしろ全国津々浦々どの文房具屋さんにもあります。無地の自由帳もありますし、縦罫線の国語ノートもあります。一冊百円というものすごい安価で、しかも小学生の手荒な扱いにも耐え抜く丈夫なつくり。久しぶりに手にしたならば、ノスタルジックな気分になれる効果もあります。ノスタルジーは大事ですよ。

「そもそも、特別にノートを用意しなきゃいけないの?なんで?」という方もおられると思います。詩を書くためだけに一冊のノートを買う、という、形から入ることは、かなり大事です。適当なメモ用紙に書き散らしてしまうと、紛失したりもしますので、やはりノートはあると良いと思います。


2−あいうえお作詩をしてみよう


ノートを用意したならば、さて、言葉遊びをしてみましょう。「遊ぶんじゃなくて詩を書きたいよお」という方、言葉遊びを侮ってはいけません。

たとえ話になりますが、泳いだことのない人がプールに初めて行って最初からクロールで1キロ泳ごうということは、難しいです。泳げるようになろうとする時、一番初めにすることといえば、水に慣れることですよね。水に顔をつけることに慣れたり、水の中で体を浮かせることに慣れたり。

そういった事が、言葉遊びです。言葉遊びにも色々ありますが、ここでは「あいうえお作詩」のやり方をお伝えします。

「あいうえお作詩」とは、詩の各行の冒頭の文字をあらかじめ決めてから、それに合わせて詩をつくる遊びです。「あいうえお」でなくても、「ありがとう」「ごはんだよ」など何でもよいのですが、ここではせっかくですから、五十音のとおりにやってみましょう。

例として、私が「あいうえお」で書いた詩を載せます。


あいつのことだ
いい物食ってやがるに違いない
うまそうな匂いがするからな
海老かね
おせんべいかね、こりゃ意外!


縦に読んでいただければわかるかと思いますが、行の最初を「あいうえお」で始めています。こういう言葉遊びをしてみましょう。遊び兼練習ですので、五十音全部やってみるのがいいと思います。

こんな感じになります、という例として、私が五十音で書いた詩を全部載せてみます。


怪獣たちが
聞きつけて
繰り出したのは
けんだま大会
こんかんこん!


淋しいから
しばらく待ってください
すこし経てば
生命活動として
掃除を始めますから


束になって
小さくなって
蔓を登る
手土産は
鳥籠だよ


渚にて
人間であれ
ぬかるみに
寝てはならない
伸び上がらねばいけないよ


始まらない
日なたぼっこ
布団を干しなさい
屁理屈こねて
ほったらかし


魔術的な
みみずく
娘の
目頭に
戻らなかった


薬缶から
湯気が
よれよれと立ちのぼる


乱暴に
離陸して
瑠璃になれよ
連中の
狼狽が
笑えるだろ?


なんだかわけのわからない詩も多いですが、なるべく当たり前ではない言葉を使うと、より楽しくできます。

五十音であいうえお作詩してみることには、作詩に慣れること以外にも効能があります。

五十音それぞれの、音としての印象をつかめるのです。「あいうえお」は柔らかくほのぼの、「かきくけこ」は角張ってはっきり、「さしすせそ」は涼やかでさっぱり、など、それぞれの音の持つ印象というものがあります。その印象をご自身でつかみとる練習にもなるのです。


「あいうえお作詩」というものを私が知ったのは、詩人で映画監督の福間健二さんが開いていらっしゃる「詩のワークショップ」に参加した時でした。

ワークショップや朗読会など、詩の催し物というのは調べてみると意外とたくさん開かれていますので、みなさんも機会があったら参加なさるといいと思います。詩の雑誌にスケジュールが載っていることも多いですので、ご興味があればぜひ足を運んでみてください。


3−ばらばらな単語を使って詩を書いてみよう


次の言葉遊びは、「ばらばら作詩」です。これは、適当に拾い出したいくつかの単語を使ってひとつの詩を書いてみる遊びです。

どんなものから単語を拾うかというと、なんでもいいのですが、ある程度文字量の書いてある中から拾うとよいでしょう。たとえば、新聞や雑誌の記事、歌詞カード、機械の取扱い説明書、などは拾いやすいと思います。

単語を拾うとき、なるべく無関係そうな単語を拾っておくと、より頭を使って楽しく書くことができると思います。

拾い出す単語の数は、3つから5つくらいでいいと思います。もちろん、お好きなだけの数を使ってかまいません。

ここでは、図書館の広報誌から夫に拾い出してもらった3つの単語「年譜」「生き心地」「歴史観」を使って書いた詩を載せます。


生き心地の悪い今までを過ごしたと
自分年譜を眺めてみた
あれ 案外ちゃんとやってきたかも
楽しいことも多いじゃないか
お気楽な歴史観もけっこう良いなあ


こういう感じになります。「年譜」と「歴史観」がちょっと距離の近い単語ですね。みなさんが書いてみる時には、もっとばらばらな単語でやってみることをお勧めします。

 ばらばら作詩は、全く関係なさそうな言葉同士を組み合わせた時、自分の中からどんな詩が産まれるのかを楽しむものです。少しのヒントから詩を産み出す練習でもあります。色々な単語の組み合わせで何パターンも書いてみてくださいね。


4−言葉を勝手に定義してみよう


国語辞典にはたくさんの言葉の意味が載っていますが、引いてみて「なんだか納得いかないなあ」と思ったことがある方も多いのではないでしょうか。

ここでは、言葉の意味を自分で勝手に定義してみましょう。真面目に考えてもいいですし、ちょっとふざけた意味でもいいです。

私は国語辞典を購入すると、真っ先に「コロッケ」という単語を引くのが小学生のころからの習慣です。コロッケが大好物だからです。しかし、どの辞典をみても、あまり美味しそうに書いてくれていないのが不満です。ですので、「コロッケ」を定義してみます。


「コロッケ」

 じゃがいもをほっくほくにふかしたのち、適度に歯ごたえを残しつつ潰し、それに挽肉をよく混ぜ込んで小判型にまとめ、パン粉をまんべんなくまぶし、カラリと良質な油で揚げた洋食。近所のスーパーのものはかなり上質。隣町のスーパーのものは買わないほうがよい。自分で作るのはかなり面倒。大好物。ソースをかけていただく。おいしい。


こうなりました。ふざけていてごめんなさい。

次に、定義した言葉を駆使して詩を書いてみましょう。せっかく定義したのですから、その意味に沿うような詩を書いてみてください。


面倒だから買いに行ったのに ひとつもない。
あっちのスーパーでなんか 絶対に買うものか。
夢想する。
白くてあたたかく 甘くてかりかり。
あの日食べたコロッケが 一番だった。
あの時食べたコロッケが 一番だった。
その順位をひっくり返してくれるのは 誰だろう。
夢想する。
君がひっくり返してくれる その時を。


言葉の定義というものは、おそらく本当は人によって微妙に違います。自分としては、その言葉をどういった意味で使っているのか。詩を書く時には、その微妙なゆらぎを大切に扱うと、良い詩を書くことができると思います。


5−夢を詩にしてみよう


白いチューリップのような花を横半分に切って
食べるようにと老人から勧められた
中に黄金虫を挟んで食べると良いのだと
教えられ 食べた
青青とした草の甘苦い味がざらつく
食べてしまって良かったのだろうか

白い足の骨を病んだ少女は余命僅か
余りある時を持つ私を罵り羨み涙す
包帯から垣間見える足に触れよと
命ぜられ 触れた
ゼリーのように崩れそうで強くできない
触れたことを悔やんだ

二人は私に迫る
もっと白い花を食べろ
もっと白い足を握れ

もう ゆるして

二人は私に迫る
もう のがさない
お前は食べ触れてしまったのだと
もう こちらのものなのだと迫ってくる

速く走れるはずもない二人から何故か逃げられない私は
走れば逃げられるはずの私は何故か逃げない
私は逃げずに逃げられずに逃げようとせずに
座り黙りこむ
椅子は固くひんやりと重く黒く吸いつく
黙り座る
二人は少し笑い私を見つめ
黙り座る
黒い椅子に


これは、私が眠っている時に見た夢をヒントに書いた詩です。

夢をヒントに詩を書くのが、なぜ練習になるのか。少し説明させていただきます。

詩を書こうとした時、陥りがちなのが「事実から離れられない」という事態です。実際にこういう体験をしたから、実際にこういう気持ちになったから、という事実をそのまま詩に書くのは、あまり得策ではないことも多いのです。

たとえば、「お気に入りのコップを割ってしまった」という事実があったとします。それをそのまま詩に書くのも駄目ではないのですが、より効果的に書くこともできるのではないでしょうか。

事実から離れる努力はなかなか大変ですので、離れる練習として、最初から事実ではないことを題材に詩を書いてみましょう。そのひとつの方法として、夢をヒントに詩を書くことがあります。普段の生活では全くありえない情景や感覚、そういったものを、詩にしてみましょう。

また、事実からは離れることができたとしても、自分自身の癖になっているような思考回路がどなたにもあると思います。その枠外で書くことができる素材としても、夢は適しています。

夢をヒントに詩を書くことは、また別の練習にもなります。

心理学者のユングが唱えた仮説に「集合的無意識」という概念があります。無意識なのですから、意識することはできません。しかし、それをちらりと垣間見ることができるのが、眠っているときに見る夢です。

その集合無意識が、詩に何の関係があるのか。

こんな経験をしたことはないでしょうか。何かの詩を読んだ時、書かれていることを自分では一切経験していなくても、心に触れて仕方なかった。そのような詩は、とても印象深く残るものになります。

私の個人的な意見になりますが、そのような詩の経験をした時には、おそらくその詩が集合無意識の近くに触れているのではないかと思うのです。

大袈裟なことを書きましたが、そこまででなくとも、言語以前のイメージを言葉にしてみる練習の素材として、夢はたいへん優れています。言葉だけの夢しか見ない方はまた違いますが、だいたいの方の夢は言い表しがたいようなものであることが多いと思います。それを、あえて言葉でつかんでみましょう。


ここからは、具体的な方法を書きます。

夢を見た時、何かしらか特に印象の強い事柄があると思います。登場人物であるかもしれませんし、夢全体を覆う雰囲気であるかもしれません。または、夢の中で感じた五感であるかもしれません。何でもよいので、特に印象の強い事柄をピックアップしてみましょう。

夢の全てを詩にしなくてよいのです。全てを書くことができそうであれば、チャレンジしてもよいと思います。ですが、最初は夢の断片を詩にする練習をしてみましょう。


上記の「黒い椅子」という詩は夢をヒントに書きましたが、全てが夢に沿っているわけではありません。夢に見たのは、白い花を食べるよう勧めてくる老人と、足に包帯を巻いた少女だけでした。夢の詳細は忘れてしまったのですが、その二人の登場人物だけが印象深かったので、まずはそれを取り上げました。

次に、その二人に何か共通した印象はなかったか、考えました。よくよく考えると、「死」のイメージ、また、夢全体に「青黒い」イメージがありました。それを手掛かりに、後半を書きました。


詩の書き方というのは、それぞれの詩によって全く違ってきます。ここで書いたのは、あくまでも例です。参考にして、夢を詩に書いてみてください。難しいかもしれませんが、書き上がった時にはとても達成感があると思います。


6−さいごに


ここまでお読みくださってありがとうございます。少しはお役に立てたでしょうか。

最初にお話ししたことで、ここまで触れていないことがあります。それは、詩を書く形式についてです。書き方の形式を広げるために一番良い方法は、先人の書いた詩を読むことです。びっくりするような形式で書かれた詩が、既にたくさんあります。もしかしたら、形式を追求することはもうやらなくていいのではないか、と思うほど、たくさんの形式があります。

私もまだまだ足りていないのですが、既に書かれた詩を読んでいくことはとても大切です。たくさんの詩から、たくさん影響を受けましょう。それは、内容も形式も、どちらもです。自分だけが思いつくこと、というのがいかに少ないか、知ることができます。それを知った上で、何をどうやって書いていくのか。その行き先は、果てしなく自由です。


(おまけ)

詩人さんに限らず、芸術家の方々には、ユング好きがとても多いみたいです。もしも芸術家と会って話題に困った時のためにも、ユングについて知っておいて損はありません。日本人の心理学者で最も有名なユング派の人は、河合隼雄さんです。たくさんの著作を残しておられますので、読んでみると良いと思います。何を読んだらいいかわからない、という方には、講談社プラスアルファ文庫から刊行されている『魂にメスはいらない』をお勧めします。河合隼雄さんと谷川俊太郎さんの対談、という形をとったユング心理学入門書です。文庫にしてはちょっと値が高いのですが、ぜひ読んでみてくださいね。電子書籍版もあるみたいです。

フロイトは異様なくらいに芸術家には人気が無いので、とりあえず後回しでいいと、個人的には思っています……。


  2014年4月21日    竹村転子

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