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仏教の教えを学びたくなり、「超訳 般若心経」を買って読むところから始めた。

これまで生きてきて、苦しいときに宗教に助けられることが何度かあった。

大学4回生のときに、家族が2人精神科に入院をする状況になって、その過程で、自分がそれまで目指していた職業も、自信をなくして諦めることになった。大学院に進まない人は就職活動をしている時期だというのに、自分は先のことが何も見えず、冷静に違う進路を考えるだけの余裕もなく、途方に暮れて気を病んでいた時期に、たまたまキリスト教の教会の人に声をかけてもらった。教会に足を運んで、いろんな人と話をし、食事をし、讃美歌を歌ったりするようになった。教会の人は皆温かかった。

マレーシアで知り合ったイスラム教徒の友人がいたり、京都や奈良で暮らしてきたから仏教に触れる機会も多かったりして、世界三大宗教にはどれも興味を持って、ときどき本を読み、COTEN RADIOなどのポッドキャストからも学んだ。モスクやチャペルやチャーチ、もちろんお寺にも行った。こんなことを言ったら誰かに怒られるかもしれないけど、モスクもチャペルもチャーチもお寺も(神道だけど)神社も、僕は大好きだ。

どの宗教についても自分の知識はとても軽薄なのだけど、少しずつ宗教のことを知っていくうちになんとなく、キリスト教よりもイスラム教、イスラム教よりも仏教の教えが、性に合っていると思うようになっていた。


別のnoteにも書いたけれど、少し前に、あるお坊さんと話をして、気持ちが楽になることがあった。

最近になって、youtubeで「大愚和尚の一問一答」という動画チャンネルを見つけた。愛知県のお寺のお坊さんが、視聴者の悩み相談を通じて仏教の教えを説いている。空手も教えているという大愚和尚は、語り口がとても穏やかなのだけど力強く、お寺の子どもとして生きてきた和尚さんのご家族のエピソードなども興味深く、生き方の指針としたいと思えるような話もあった。知らなかった人は良かったら一度聞いてみてほしい。



2冊目の本を買う

noteでサポートしていただいたお金で本を買い、そのことについてnoteに書こうと決めてから間もなくして、とてもありがたいことに、ある男性の方から、サポートをしていただいた。

寂しさから、行きつけの店が欲しくなって通ったホルモン屋さんについて書いた文章に、「これでまた飲みに行ってください」と言ってサポートしてくださって、まるで飲み屋で初めて知り合った方に奢っていただいたような気分になる、嬉しくて不思議な体験だった。

サポートは紙の本を買うのに使うことに決めていたから、ホルモン屋さんはまたいつか誰かと行くことにして、今日時間があったので本を買うことにした。

まだ持っていなかった仏教の本を買おう。せっかくなら奈良のローカルな本屋さんで探してみようと、駅前の小さな書店で仏教の本を探す。大愚和尚の本があれば買うつもりだったが見つからず、リベラル社という名古屋の出版社から出ている般若心経の本を買うことにした。

心を病んでいた大学4回生のときには、尊敬すべき友人にもたくさん助けてもらっていたのだけど、仏教系の高校出身のその友人が暗唱できると言っていた般若心経を、僕はまだ一度も学んだことがなかった。

購入したあと、書店内のコーヒーが飲めるスペースでカフェオレを飲みながら「超訳 般若心経」のページをめくる。カフェオレを飲みながら般若心経はちょっと軽すぎたかもしれないけれど、軽い文庫本のこの本は「観自在」「菩薩」「行深」など、般若心経のなかにあるひとつひとつの仏教の言葉について、とても優しい言葉で解説されていて、読むだけで心が整い、気持ちががすーっと楽になった。一般の人が読みやすいようにした「超訳」というのは、多くの人を救おうとする菩薩道の考え方と合っている。そう考えると、カフェオレを飲みながら読むのも悪くないかもしれない。よくわからない。


偶然にも、この本の監修をしたのが奈良の薬師寺の管主の方で、薬師寺は、職場への通勤路にあるお寺なのにまだ行っていないお寺だった。

薬師寺では般若心経の写経もできるらしいと知った。この本を読み終わったら足を運んで、一度写経もやってみよう。

人生には、軸になる何かが必要だ。

たまには遠くを眺めてぼーっとしようね。