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休職期間の記録⑩トラウマについての勉強/安全な場所の記憶

 

トラウマの勉強

「身体はトラウマを記憶する」という本を図書館で借りて読んでいる。
買うと税込みで4000円以上するらしくて、そんな本を最近は何冊も借りて読んでるから、もう図書館には足を向けて寝られない。


主に帰還兵や性被害者の事例を扱いつつ、たぶん日本ではまだそんなにメジャーではない、”発達性トラウマ”についても詳しく書かれている本(2016年出版)で、トラウマによって、脳や身体にどんな変化が起きるのか、大人になってからも続く変化や、そこから回復していくための方法についてもかなり具体的に書かれている。トラウマを抱えている人も、治療を受けられないとしても、この本を読むだけで結構理解が深まるし、しんどい出来事が起きた時の身体反応に気づいて観察して耐える練習をすれば、トラウマによる身体反応とうまく付き合えるようになりそう。必要な人はちゃんとしたセラピストの治療を受けた方がいいんだろうけど。


トラウマを抱えた人の特徴の一つが、本来では危険でない状況を危険だと誤解してしまうこと。それによって、社会的な活動が制限されてしまうことも多いらしい。

私たちの研究からは、近親姦の犠牲者の体は、深い次元で、危険と安全を区別するのに苦労していることが明らかになった。これは、過去のトラウマの痕跡は、外部から入ってくる情報の近くの歪みだけではないことを意味する。体自体も、どうしたら安全に感じられるかを知るのに手をやいている。過去のは心に刻み付けられ、無害な出来事を誤って解釈する事態(たとえばマリリンは、寝ているときに偶然体に触れたマイケルに襲いかかった)を招くだけではなく、体にも刻み付けられ、自分という存在の核心を成す安全の判断にまで影響を及ぼしているのだ。

「身体はトラウマを記憶する」p210‐211


トラウマを負った人は、感じるのを恐れていることが多い。今や彼らの敵は、加害者(近くにいて傷つけられることがもうなければいいのだが)ではなく、自分の身体的感覚だ。不快な感覚に乗っ取られるのではないかという不安から、体が凍りつき、心は閉ざされたままになる。トラウマは過去のものなのに、情動脳は、サバイバーがおびえたり、無力だと感じたりするような感覚を生み続ける。じつに多くのトラウマサバイバーが、強迫観念に駆られて飲み食いし、愛し合うことを恐れ、多くの社会的な活動を避けるのも驚くにはあたらない。彼らの感覚世界の大部分が、立ち入り禁止になっているのだ。

同、p340‐p341


トラウマについての本を読むと僕は結構しんどくなるので、ちょっとずつしか読み進められなくてまだ全部は読めていないのだけど、回復には、専門的な治療の他に、信頼できる他者との関わりや、マッサージやボディーワーク、人と一緒に歌ったり踊ったりすることで、身体的に他者と同調することも良いらしい。


こういう勉強はしんどくなるけど、自分の感情や体の状態に意識を向けながら読み進めていって、疲れたら体を動かしてみたり、図書館の外の好きな場所に移動して深呼吸や体をほぐすストレッチをしてぼけーっとしてみたりしながら、ゆったりやっていくと、気持ちの切り替えの練習にもなる。

自分はどういうときに苦しくなるのか、そのときに体のどこが反応して、どんな行動をとろうとするのか、あるいは頭が低覚醒状態になる(ぼーっとする)のか、どうしたら元の状態に戻せるのか、わかっておいた方が今後の人生、生きやすそうだから、時間がある休職期間に少しずつ勉強してる。


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安全な場所の記憶

最近はDIYにはまっている。と言っても、カットした木材にペンキを塗ってドライバーでくっつけて棚を作るくらいの簡単なこと。

こういう作業は僕はすごく好きで、夢中になれる。上手ではないけれど。

大学卒業後にデンマークの大人のための全寮制の学校、フォルケホイスコーレに留学するまで、木工をほとんどしたことがなくて、留学中に先輩に教えてもらった。

授業のない休日、用具室から電動のこぎりやドライバーなんかを持ってきて、学校の端っこに放置されている壊れたワゴンのあるスペースを学生のたまり場にしようと言って、廃材を組み合わせてテーブルやベンチを作った。
好きな形に廃材をカットして、変な見た目のテーブルを作るのがおもしろかった。時々、金髪と白髪が入り混じったデンマーク人の知的障害のおっちゃん(たしかエリックって呼ばれていた)が、にやにやしながら様子を見に来ていた。

帰国してから、電動ドライバーを買って、職場で廃材が出たと聞けばもらって帰って、プランターとか、棚とか、簡単なものは自作するようになった。

授業で教わったことも大きかったけど、フォルケホイスコーレは授業外の経験がその後の人生に影響していたりする。


図書館でトラウマの本を読んで疲れたら、建物の裏の屋根のあるスペースに出て、ゆったり体をほぐす。駐車場の一部になっているけど、正面は土手になっていて背の高い草が生えて、奥には民家が並んでいる。草が風になびいてゆらゆらしている。日陰にいると、5月の風はまだ結構冷たい。

気持ちいい風に吹かれながら、テキトーに伸びをしたり、ストレッチをしながらその場にたたずんでいると、くさっぱらががずっと遠くまで続く、どこまでが学校の敷地かわからなかった、フォルケホイスコーレの校庭を思い出す。


フォルケホイスコーレの校庭は、平和で、安全な場所だったなあと思う。あの頃一緒に留学していた友達に教えてもらって、Jack Johnsonをよく聞いていた。

緑のある穏やかな場所に行って、この歌を思い出せば、しんどいことを思い出したあとでも、安全な感覚に戻ってこれる。


たまには遠くを眺めてぼーっとしようね。