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休職期間の記録13 水を見つめること、支えられること

 4月から月に1度教えてもらっているコンタクト・インプロビゼーションというダンスがおもしろい。日本語に訳すと「接触・即興」という意味のコンテンポラリーダンス。

3回教えてもらったくらいではこのダンスがどういうものなのかまだまだわからないんだけど、おもしろい。何がおもしろいのかなかなか言語化できないんだけどおもしろくて、よくわからないままに今後も習い続けてみたいと思う。

自分なりの解釈で少し言語化すると、非言語コミュニケーションを通したペアの人との相互作用がずーっと起きていて、自分や相手の心境とか動きが常に関わりのなかで変化し続けることがおもしろさのひとつなんだと思う。やってる間はなんというか無心になれる。これは僕が素人だからかもしれないけど、頭の中でもほとんど言語を使わないままに動いている。使っている暇がない。ダンス中はペアの人とも言葉でコミュニケーションをとることはない。

他の人たちのダンスを見ていても、動きがまったく予想できないし、それぞれの個性の組み合わせと、回数を重ねるごとに関係性が変化していくことで全然違う表現になっている。


社会性を発達させるべき時期にあんまり他者と関わってこなかったせいか、僕は言語以外で相手の気持ちや心の動きを汲むのが苦手で不器用なんだけど、そういうところが、いまからでもダンスを通じてちょっとずつ変化していけばいいなと思っている。


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4月の半ばから休職をして、もうすぐ2ヵ月。
休職をして間もないかなり憂鬱だった頃に、傷病手当分の収入に見合う消極的な生活をしていたら人生が先細りしそう(今思えば限られた期間のことなのに未来まで一般化し過ぎなのだけど)と思って、不足分を少しでも補えたら元気になりそうと思って始めた有料note。

本当にありがたいことに、複数の方に購入してもらえて、そのおかげもあって元気になっている気がします。できるだけ書き続けることで還元していきます。還元になってるのかわからないけど。笑
コメントなどでもフィードバックいただけると嬉しいです。


心の水を見つめること、ゆらゆらすること


久しぶりに連絡をくれたデンマークの友人に、うつで休職してることを伝えたらデンマーク語交じりの英語でこんな言葉をかけてくれた。

”the way back is sometimes longer than we like it to be -
and when I add worklife i Japan I whish you all the best. let us go for a walk, look at the water, in our minds, maby talk a bit , and just be.”

2017年、留学先の学校で出会ったデンマーク人のその友達は、足が不自由で車いすを使っている。たまたま同じ授業をいくつかとっていて、留学中にデンマークの生活や建築のことをたくさん教えてくれて仲良くなった。僕が日本に帰国した2年後にデンマークを一人旅をしていたとき、一人暮らしのその人の家に泊めてもらったら、なんと朝ごはんに学校の寮の朝食を再現して準備してくれて感動したことがある。


look at the water, in our mindsって言い回し、初めて聞いた(彼女の造語?)んだけどいいなあと思った。mindって言葉が僕はよくわかってないんだけど、雑に日本語に訳すと、「心の中の水を見つめる」になるのかな。

心でも、体でもいいんだけど、水の流れはどうかなーとか、澱んでるかなとか、温度はどうだろう、何色だろう、良い状態にするにはどうしたらいいだろう、なんてことを、心に水があるイメージを浮かべて注意を向けてみるのは、自分の心身が求めてるものに気づくのに便利かもしれない。


コンタクトインプロビゼーションの最初の体ほぐしのワークで、ペアになって一人がうつぶせになって、もう一人がその人の体を水風船の中の水をゆらすイメージでゆするというのやったことがある。ペアにならなくても立ったまま一人で体をゆらゆらするするだけでもちょっと体がほぐれて、少し気持ちも楽になる。

水泳選手がスタートの前に両腕をぶるぶるっとふるわせるのは、体の水分を全体にいきわたらせるためらしい。わかんないけど、体の水分が偏ってるより、バランスよくなってる方が良さそうだ。

疲れたら、自分の心の水を見つめて自分のニーズに気づいたり、体の水分を意識して、ゆらゆらしてみたりしよう。



サラケダス、ササエラレル

 僕がうつになって休職してると知った友人が、僕の好きなコスタリカ産のコーヒー豆やお菓子や本を山梨から届けてくれた。その友人が書いたnoteがおもしろかった。そうか、彼が山梨に引っ越してからもう1年以上になるのかと、時の流れの早さを感じながら読んでいた。


 憂鬱な気持ちになることが僕にもある。大抵は生きる意味を見出せなくなったり、現実に対して悲観的になったり、将来に対する漠然とした不安を抱いたり。言葉にはならない、いくつかの孤独感や寂しさが混ざり合った感情に襲われて、涙が勝手に溢れてくるのだ。その原因は人によって様々で、幼い頃の原体験やトラウマといったものから生まれることもあるし、置かれている環境によって感じるストレスや、社会的な相対価値が失われているように感じることに依るのかもしれない。

 本当に苦しいときには、どんな言葉も届かないことがある。人に頼った方がいいと言われても、光を浴びた方がいいと言われても、心が追いつかなければ当人には厳しい言葉となってしまうのだ。それはどんなに身長を伸ばしたくても伸びないのと同じように、やりたくてもできないものなのだと思う。けれど、そうかと思えばふとした瞬間にそれができるようになる。端から見るといい加減な人間に見えるかもしれないけれど、憂鬱とはそういうものなのだ。

下のnoteより引用


僕は休職中でしんどい時期のこともnoteにさらけ出すくらいだから、たぶんどちらかというと、「しんどさをわかってもらいたい」タイプなんだと思う。

だけど、しんどいときに人に頼るのが難しく感じる気持ちもすごくよくわかる。今でも覚えているのが、25歳の頃のこと。

デンマーク留学から帰ってきてから、ほぼ貯金を使い果たしていたうえに正社員として働くまでにしていたバイトの給料が少なく、その後引っ越しも重なって、正社員になったあとも本当にお金がない時期があった。それでも、家族にも助けてほしいと言えなかった。(正確には、3万だけ貸してもらってたんだけどそれでは足りなかった)

残高が1300円で次の給料日まで何日かあって、当時の僕はクレジットカードで食糧を買うという発想もなく、食べるものがほとんどなくて、貧血で仕事を早退してから、ようやく兄を頼ることができた。それまで、福祉ホームの仕事で人のために料理を作っていたのに、自分が食べられる食料が家になかった。

ある人に借金を踏み倒された経験から「借金はしてはいけない」と僕に繰り返し言い聞かせていた育て親である祖母の教えが染みついていたのもあったし、そもそも3か月の格安留学とはいえ、留学という贅沢をして計画性がない自分が悪い、自業自得だと思っていた。

休職中、結構いろんな人と話をしているけれど、僕の周りの対人援助職の人たちのなかにも、誰かを頼るのが苦手な人は多いように思う。

完全に自戒を込めていうけど、仕事でもプライベートでも、人に頼られるのは好きで、頼られることで自分の存在意義を感じたり自己肯定感を満たしているというのに、誰かに何かをお願いしたり、頼ったりするのは難しい。こんなこと言って迷惑じゃないかとか、うっとうしがられないかとか、過剰に気にしてしまう。拒絶されたり、嫌がられることへの怖さが根底にある。

自分を頼ってくれる人のことは「可愛い存在だな」くらいに思えるのに、誰かを頼る自分のことを可愛げがある、なんて微塵も思えなかったりする。

それは、プライドもあるかもしれないけど、できない自分を否定されて、できることを肯定されてきた教育とかの影響もあるんじゃないかなと思っている。

まずは、しんどさとか困りごとを、誰かに伝わるように早めにさらけ出すようにして、助けてもらう経験をたくさん積めばいいのかもしれない。
「ああ、もしかしたら世の中には(自分以外にも)人助けをしたい人もたくさんいるのかもしれない。」なんて思えるようになったら、頼り上手への一歩を踏み出してるんじゃないかな。しらんけど。


休職することになった直後に先輩に言われた言葉、
「人に迷惑をかける練習をしなさい」は今も頭にある。

これからも練習を続けるつもりだ。


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そんなことを書いていた矢先に、最近仲良くしてもらっている人から、
自分の感情にちゃんと目を向けて表現しなさいと言われた。

「人には自分の感情を大事にする権利がある。あなたに優しくしてくれる人はいるかもしれないけど、自分の感情を大事にできるのは絶対に自分しかいない」

育児中の人とかもそうだと思うけど、他者を主語にして考える癖がついてると、誰かといるときに自分の感情を素直に感じて表現するのって、結構難しかったりする。



在野研究者の心得について(「これからのエリック・ホッファーのために」)


友人と趣味で続けている、自死にまつわる対話の収録のために、ゲストの暮らす家に遊びに行った。

交野市で畑をしたり、休む人のための居場所づくりをしている任意団体あわひの代表、にっしーさんの家だ。

このnoteで前にも紹介しているけれど、あわひは社会にあいだの選択肢を創るをコンセプトに、忙しくフルタイムで生きる以外の生き方を求める人や、一時的に休みたい人たちの居場所として不定期のカフェや畑仕事のイベントなどを企画している。

その代表のにっしーさんの家でstand.fmを収録して、身近な人の自死について感じたこと、うつになったときに自信を失う感覚について話したりしたあとで、リビングに置いてあったにっしーさんの本棚のオススメ本を紹介してもらっていた。

(にっしーさんゲスト回は後日公開予定↓)


そのなかで気になった一冊、「これからのエリック・ホッファーのために」という、日本の在野研究者16人の人生から、在野研究の心得をまとめた本がとても面白かったので紹介したい。

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