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【3/15まで特別公開】波のした、土のうえ③花を手渡し明日も集う

復興工事が盛んになった2014年秋の陸前高田で制作した『波のした、土のうえ』を期間限定で公開します。→期間終了しました!
3部作の3本目となります。
作品詳細と、1本目の「置き忘れた声を聞きに行く」はこちら
2本目の「まぶしさに目の慣れたころ」はこちら

本作のみ、朗読が語り手ご本人ではなく、瀬尾によるものになっています。
制作途中の段階では、ご本人の人称で書いたテキストをつくり、お願いしにいったのですが、ちょうど復興工事による移転作業で忙しく、気持ちの余裕がないということで、「この土地を見ていた瀬尾さんからの視点で書いて、声に出して」と言っていただき、このような形になりました。

ーー

花を手渡し明日も集う

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どこまでも平らな草はらを歩く
少し前までは、確かにここにまちがあったという
私は何度もこの場所を歩いて
かろうじて残ったまちの痕跡を探す
商店街のタイルの跡、ねじ曲がったフェンス、かすれた横断歩道

平らなまちには、ぽつりぽつりと花が手向けられている
いなくなった、誰かへ
きっと、その人の家族や友人が、通っているのだろう
その花があることによって、
ここに確かに誰かの生活があったということを
私はやっと知ることができる

山際の一角に、大きな花畑がある
津波に洗われた広い草はらの中で
その場所だけが、色鮮やかだった

私は、その花畑に通うようになる
おばちゃんたちが花の手入れをしている
にぎやかな笑い声

お世話になった場所が、
灰色のまんまになっているのはあまりに忍びないって
なんとかここにもう一度、色を与えたいって
そう思ったから

私たちの部落は、亡くなった方が特に多いの
避難した時に、上の避難所で名簿をつくっていてね
あの人いない、あの家族いない、あのグループいないって、
すぐにわかったの
それで私、亡くなった人たちを放っておけないって、強く思ったの

避難所からここに通ってね
亡くなった人たちのお家があったところに、花を手向けていたの
避難所に咲いていた花を摘んだり
高台のお家から、お庭の花をいただいたりしてね
そして花を供えては、溜め息をついてね

切り花って枯れてしまうでしょう
花をいくら手向けても、それは、枯れていくでしょう
枯れた花が灰色の景色に同化して、
見えなくなってしまうのが忍びなくてね
私、胸が締め付けられるようだった

にぎやかな語らいのあいまに、
おばちゃんたちはそんなことを話してくれた
季節が巡り、青い草が生えたころ、ちいさな花を植えたという
一面を覆われ、境界をうしなった地面から、
根の張った草を抜いていく
おばちゃんたちは、ここが確かにその場所だ、
ということを確かめていたのかもしれない

ここで花を育てようと思ったの
そして枯れないように、
この場所にずっと、寄り添っていようって思ったの

ご近所さん同士で、あじさいロードって呼んでいた道があってね
両側にあじさいが植わってて、それが、季節になるときれいだったのよ
そういう思い出もあるからね
それをもう一度、つくりたいって思ったの

私たちが、あの人たちがいた場所を、いつまでもこのままにはしておけない
生き残った私は、何をしなくちゃならないだろうって
ずっと、考えていたわ
人通りのなくなったこの場所をただ見ているのは、さみしいでしょ
このまちの人は、ここを見捨てたのかって思われるのが悔しくて
それに何よりも、亡くなった方たちを放っておくことは、わたしにはできない

ちょうどそのころ、主人がここに店を建てるって言ってね
元々あった場所にこうして、もう一度プレハブでお店を出したの

年齢的にも、もう辞めようかと迷ったみたいだけどね
やった方がいいとか悪いとか、私は言えないなって思っていたの
でも、もう一度やりたいって言えるくらい元気を出してほしい
そう思っていたらね
少し時間はかかったけど、こうして始まったのよ

ここも津波の来た場所なんだけど、高台に近いでしょう
何か起きてもすぐに逃げられるから、ここにしたの
海沿いの土地が空いてますから、使ってください、とも言われたんだけどね
海の近いところは怖いから、断ったの

私はもともと浜育ちでね
地震が来たら津波が来る、即高台だって言われて、育ったの
でも、この辺はまちなかで、家が建ち並んでいたからね
海が近いって意識が、あまりなかったのかもしれない

私たちが避難しはじめたのを見ていた人がね
あの人たちはもう間に合わないかもしれないって、思ったんだって
津波がすぐそこまで来ていたそうだからね
私の顔を見ると、おばちゃんたち生きていてよかった、よかったって、
言ってくれる方があるのよ

生きているおばちゃんたちと、亡くなったひとたち
会うことのできなかったその人たちの顔を、想像する
私は、いま生きている人にしか、会うことができない
生きている人と亡くなった人の間には、どのような違いがあるのだろう
津波がつくった境界線のうえを、
いまも歩いている人が、このまちにはたくさんいる

いざ、花を植えようと鍬を降ったらね
すぐにごろごろした石が出てきてしまったの
ここはもともと宅地なものだから、土がなかったんだよね

これでは花を育てられないって思って、泣けてしまうようだった
私はここで供養しなくちゃって思うのに
なんとかせめて、ここにいさせてくれないのかって

おばちゃんたちは、カラフルなグローブをはめた手で、花の根に土をかぶせていく
おばちゃんたちの手が、伸びていく花の根が、
ここにいた人たちと、ここにあった暮らしに、
そっと触れているようだった

花にとっても大変な環境だったと思うんだけどね
だけどしばらくしたら、青い芽が伸びてきたのよ

ここで私が、花の手入れをしていたらね
通りがかった人が、あなたここで何がしたいのって聞いてきたの
私ね、ここを富良野みたいな花畑にしたいって、大きいこと言ってみたの
そうしたらその方ね、やりたいようにやりなさいって言ってくれてね
内陸からとんでもなくたくさんの土を、運んできてくださったの

いくら流されて、境界が無くなってしまっても
土地は、それぞれのものだから
それぞれの区画で、それぞれに花を育てようって
最初はそう決めたのよね

でもみなさん、状況がそれぞれだから
ふるさとが流されたのを見るのがつらいって
遠くて通うことができないって
ここに来られない人も、いっぱいあったの

それで、もう一度相談してね
賛同してくださる方たちと協力して、
花畑をこうして広くしていったのよ

私の性格を知っている主人は、反対していたんだけどね
花畑なんてはじめたら、のめり込んでしまって
仕事がそっちのけになるって、わかっていたのよね
俺は手伝わないぞって最初は言い張っていたんだけど、
私たちの様子を見て、あまりに頼りないって思ったのかな
手伝ってくれるようになったの

なんで工事が始まるようなところに、わざわざ手をかけるんだって
そう思う人もあるかもしれない
だけど私、どうしてもこれがやりたかったの
私たちが暮らした場所に花をたくさん咲かせたら
またみんなが集うようになるかもしれないって、思ったの

おばちゃんの言う、みんな、には、
亡くなった人たちも、いまはとおくで暮らす人たちも、
これからここで生まれるひとたちも、
きっと、みんな含まれている

花が咲いているとね
通りがかって、声をかけてくださる方もあるの
それが縁で毎月のように、
金沢からボランティアに来てくださるようになった大学もあるの

たくさんの方々に助けていただいて、感謝しかないの
本当は、ここの住民が自分たちの力で、この場所を見届けられるようにって、
思っていたんだけどね
なかなか動き出せない方も多いの

遠くの土地から夜行バスで来る学生さんや
毎週のように通ってくるという内陸のチーム、
忘れた頃に、どうしてますか、と手紙をくれるというボランティアさんたち
通りがかりの、不思議な、さまざまな人たち
おばちゃんたちの会話には、私の知らないたくさんの人たちが登場する
花畑に惹かれてここを訪れる人たちが、
おばちゃんたちの毎日にとって、とても必要な人たちになっている

ある夕方ね、いつもみたいにここで、花に水をやっていたらね
おばあちゃーんって声が聞こえてきたの
顔を上げたら、中学生になったばかりの孫だったのよ
迎えの車との待ち合わせ場所を間違えて、ここまで降りてきてしまったんだって
あの時は本当にかわいかったよ

おばあちゃんね
みんなと一緒に、こんなに花を育てているよって
やりたいことに一生懸命向き合ってるよって
孫にはそういう姿を見せなきゃなって
思っていたの

ここからずっとあっちまでね
10mも土を盛って
その上に新しい市街地をつくるんだって
私自身は、もう津波の来たところには、住みたくないの
だからここが新しく出来ても、
私たちはもう、ここには暮らさないと思う

この前、流された建物の解体がすべて終わったでしょう
流された当初は、早くなくならないかなって、思っていたんだけどね
いざ解体の工事が始まったら、
私自身びっくりするくらい落ち込んでしまったの

工事する人たちは、
1日でもはやく工事が終わるようにって、
被災した人たちのためにって、
休みなく働いてくれているのが、痛いほどわかるの
でもね、あのベルトコンベアが止まると、ほっとする時があるの
ああ静かだなあって、思うのよ

町中のあちこち、どこもかしこも工事をしている
どの山もみんな削られて、波を被った低地には土が盛られる
ここも変わってしまった
あっちも無くなっている
みんなの思い出の痕跡を探す方法が、
私にはもうなくなってしまうかもしれない

まちがあった頃には、考えられないんだけどね
最近では、この辺にも鹿が出るのよ
畑はどこも食べられてしまうし、
飛び出してきて車とぶつかることもあるの
一大工事で、動物たちも住む場所を追われているのね
いつか自然に怒られてしまうのではないかって、私、思うのよね

この前役所の人が来てね
工事がはじまるから、
ちょうど花畑の半分あたりまで、
ここからここまでは6月いっぱいで片付けくださいって、
そう言われたの

私たちは、復興の邪魔になることはしないっていう考えだからね
それまでにこの花たちを、
引き取ってくださる方に渡さなきゃって、
かわいい我が子を里子に出すような、そういう気持ちなのよ

この花畑には、必ず終わりがくるってわかってる
おばちゃんたちは
折に触れてそう言っていた
私たちはこの場所を、気持ちよく受け渡さなければならない
復興工事がはじまることは、喜ばしいことだ
おばちゃんたちはさみしそうな声で言う

明日は無くなるかもしれぬ花畑に、
今まで関わってくれた皆さま方に、
心から感謝いたします、と

ここで花摘みのイベントをやったのよ
仮設住宅からも、大勢の方たちがいらっしゃってね
ここの部落に住んでいた方も、たくさんいらっしゃってね
喜んで花を持っていったの
その時ガーデニングの先生が、2度摘みが出来る切り方を、指導してくださったのよ
次の芽が伸びて、また新しい花が咲くようにって

6月の最後の日
おばちゃんたちは、いつもの明るい声で話しながら、どんどん花を抜いていった
ここにいたという象徴にと、大きなユリだけは残すと言った
花畑の最後の姿の前で、記念写真を撮った
その日は晴れて、みんな笑顔だった

ある夕暮れに、花畑の横を通ったら、
記念のユリがちいさなプランターで囲われていた
雨にぬれたその光景は、とても特別なもののように思えて、
私はたくさん写真を撮った

東京の避難先で亡くなった、ご近所のおばあさんのための、祭壇だという
はやくこっちに帰りたいと口癖になっていたおばあさんだという
葬儀はこっちでやると聞いたおばちゃんたちは、
それならここを通るかもしれないと思ってこれをつくったという
みんなで待っていたけれど、おばあさんをのせた車は、ここを通らなかったという

きのういつも通りにここに来たらね
花畑を片付けたところを、工事の柵が囲っていたの
立ち入り禁止の札も、立ってしまってね

片付けてから3ヶ月もそのままだったんだけど、
始まると早いのね
何もしないんだったら、コスモスの種だけでも撒いておけばよかった
3ヶ月の間、いつもそう思っていたわ

こっち側も、10月いっぱいって言われたの
私たちのお店ももうすぐ引っ越しするのよ
今度、ここに通ってくれた学生さんたちが来て、
最後のボランティアをしてくれるの

ボランティアの学生たちがやってきた
いつもと同じように草取りをして
みんなで昼食を囲んだ
午後には彼らが持ち帰る分の花を抜いて、バスに積んだ

いままで本当にありがとう
みなさんに助けていただいた分、
まだ先の長い復興を、ずっとがんばっていきます

おばちゃんたちは深々と頭を下げた
ボランティアの学生たちが泣いている
また来てもいいですか
ずっとお手伝いしたいです
おばちゃんたちはその言葉を聞いて、やっと涙をながす
いつでもお待ちしておりますね

数日後、数ヶ月後、数年後
この花畑に集った人たちは、どこにいるのだろう

それぞれの顔を想い浮かべる
それぞれの場所の、それぞれの時間
隅々まで想像することは難しい

けれどひとつ、思うことがある
いつかきっと、また集える
この場所で

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*小森はるか監督作品「息の跡」は現在も自主上映会を受け付け中です。陸前高田で種苗店を営む佐藤貞一さんを追ったドキュメンタリー映画。佐藤さんのギター演奏などを特典に盛り込んだDVDも発売しています。

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*瀬尾夏美単著「あわいゆくころ 陸前高田、震災後を生きる」もよろしくお願いします。
発災から復興までを繋いでいた7年間を“あわいの日々”と捉え直し、当時のツイート<歩行録>と、一年ごとの振り返りエッセイ<あとがたり>、これまでの時間を“100年後に誰かが語る”そのときを描いた絵物語を収録。

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