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一定レベルを超えた家事は善意で愛情表現で趣味

どうも、友達過少主婦です。
育児や家事の分担って、何年経っても色褪せないテーマですよね!

・・・ふざけているわけじゃないんですけど、あまり重たくしたくない話でもあるので、あえてこんな感じに書き出してみました。

私が子供2人の育児に追われていた時代は、ワンオペ育児という言葉が出始めたくらいだったけど、そういう概念ができたことが、日本中の家庭にとって一歩前進した瞬間というか、ちょっとした黎明でしたよね。

そしてその最中、よく夫に「家事は自己裁量なんだから、外での仕事と違う」と言われては、なんとなくムシャーッとした気持ちになったものでした。

じゃあ、子供たちの健康は?教育は?放っておけばいいの?コンクリートジャングルの野生児てことでOK?
いかに家事や育児が大切で重要なことかを説いてはあまり同意してもらえず徒労に終わるということを繰り返していました。
自己裁量が故に青天井で、「このご飯で栄養足りているのかな?今日外に連れ出せなかった…うちの子運動神経がイマイチなのは私のせいかな?」などと、やってもやっても出来ていないのではという不安の中での育児。
当然真剣だからさ。頑張りすぎて、精神的にも疲れてしまうのよね。

で、我が家の子どもたちがある程度成長した今にして振り返ると、夫の言っていた「家事は自己裁量」の言葉の受け止めも、少し変わってきて、過去の自分には見えていなかった別の意味合いを含んでいることに気づいたんです。

確かに、栄養も大事だし、知育、発達、躾も、清潔な環境も、生活リズムも大事。
それが前提の上で「マスト事項を可能なだけ最小化して、あとは余力で」という考えを家庭内で共有したらいいんじゃないかと。

「家事育児は仕事」だと思うと、出来ていないことやクオリティについて、ついつい点数付けしたくなるのかもしれないよね。日本人サービス過剰になれてるし。
特に男性は、数字で比較や勝ち負けの世界の住人が多い気がする。だからこそ、これできていない、1日何してたの、うちは緩いんじゃないかと責める気持ちが生まれるのかもしれないけど、それは外の世界の基準であって、家庭内ではその数値や価値観は通用しないことを知ってほしい。

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