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その恋は、静かに根を張って -きみはポラリス-

「恋」の境目はどこにあるのだろう。

目が勝手に追いかけるようになったら?
美味しいものを食べた時に顔が浮かんだら?
そのひとに呼ばれる名前が澄んで聴こえたら?

いつまで経っても分からない。
でも、だからこそ「恋」なんだろう。

実態の無い、盲目的なそれに線引きなんて要らない。



三浦しをん『きみはポラリス』は11編の恋愛小説集だ。

あらかじめ提示されたテーマを「お題」、自分で勝手に設定したテーマを「自分お題」として書かれた「恋愛をテーマにした短編」を集めたもの。

そう、恋愛小説集。
すべて読み終えて収録一覧を見た時にそうだった、と思い出した。わたしの中で恋の話だと意識して読んでいなかった短編があったのだ。

そうか、あれも恋の話。


ここに書かれた11編はどれもこれもわたしにとっては身近な恋愛では無かった。読みながら傷付くことも、胸が高鳴って何度も繰り返し同じ文を辿ることも無く、さらりと読めた。

だけど翌日、ふとした時に頭の中に浮かぶ。

気付かないうちにどっしり根を張られていた。
彼らの恋がわたしの身体の中で動き出す。


多恵子さんが「喜一」と呼ぶ声
(裏切らないこと)

俊介の強く、苦しいほどの愛
(私たちがしたこと)

深い夜の中に浮かび上がる真理子
(夜にあふれるもの)

麻子を想い続ける春田の足音
(春田の毎日)

寺島を見る岡田の視線の熱
(永遠に完成しない二通の手紙)
(永遠につづく手紙の最初の一文)


身体の中にじわりと感じる。
ストーリーよりも台詞よりも、感覚的な恋だった。

こんな恋がしたいと憧れるようなものではないけれど、それでも確かに自分の恋とリンクする部分があった。
それも恋だと思わずに読み終えた「冬の一等星」がいちばん近い。

何故だろう。


私は大人になるまでも、大人になってからも、星座を探すような歯がゆさを何度も味わった。「あの星とこの星を結んで」と説明しても、並んで夜空を見上げるひとに、正確に伝わっているのかどうかはわからない。確認する術もない。多くのひとが経験したことがあるだろう、歯がゆさだ。
(p354-355 「冬の一等星」)

恋愛だけではない。友達との会話でも、文章を書いていても、さらにはSNSでの呟きでさえ、こういう歯がゆさを感じることがある。

ただ、同時にその歯がゆさが愛おしい時もある。

たまにある、繋がる感覚。お互いが共通のものを見て同じように感じているであろうことが分かる、あの快感。

いまこうして書いていることが伝わっていないかもしれないけれど、それでもわたしはその瞬間がたまらなく幸せなのだ。

鼻がツンとして、目尻が濡れる、あの幸福感。



夏の終わり、下ろし立てのサンダル。
提灯が並ぶ公園の外、座って食べた屋台の焼きそば。
「来年も来ようぜ」と笑い合う小学生たち。
隣から聴こえた穏やかな声。


「こんな光景が、ずっと続けば良いよね」


わたしにとっての幸福ってきっとそういうことだ。




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