漁港の肉子ちゃん

大人と子供、好きと疎ましいの狭間で

肉子ちゃんは本名では無い。
そして『漁港の肉子ちゃん』の主人公でも無い。

主人公は、肉子ちゃんの小学5年生の娘、喜久子。
そして肉子ちゃんの本名も菊子。

漁港の焼肉屋の裏に住むキクコ親子の物語。
それが西加奈子さんの『漁港の肉子ちゃん』です。


肉子ちゃんには疑いの心がありません。
誰の言うことも無条件に信じてしまう。だからこそ人から好かれ信頼もされているけれど、同時に騙される回数も少なく無いのです。

太っていて不細工で、ころっと男に騙されて、語尾にはいつも「!」がつくほど騒がしい肉子ちゃんのことを、喜久子は恥ずかしく思い始めます。
学校行事で友達にお母さんを見られることの緊張、恥ずかしさ、疎ましさ。

小学校5年生って沢山の狭間にいるんです。



大人と子供の狭間

大人になった今では小さい世界だったって分かるけれど、小学生にとって教室というのは世界のほとんどを占めていた場所だと思います。男の子もグループ問題とかあったのかな。女の子は、きっと経験がある。

喜久子は可愛くて人気がある。そんな喜久子といつも一緒にいるのはお金持ちのマリアちゃん。
ある日、マリアちゃんは喜久子に尋ねます。

「キクりん、金本さんのこと、どう思うん。」
(p110)

小説を読んでいるって分かっていても感じてしまう嫌な気持ち。ああ、始まった。心の中がどろどろしたものに侵食されて、冷や汗が背中をたらりと流れるあの感じ。なんだよ、どう思うって。

わたしにもあった、こういう経験。こういうことを言われた時、わたしの頭の中はパニックになりがらもひとつの答えを導き出そうとする。「なんて言えば悪く言わずに上手いことここを切り抜けられるかな」って。その時点で質問への素直な回答にはなっていないのかもしれないけど、そんなことはどうだっていい。

喜久子もそうだった。

私は否定が出来ない。決定的な意思を持っていても、それを出すことが出来ない。受け入れたままで、どちらからも逃げていたいのだ。
(p115)

子供のままでいたい、という気持ちと早く大人になりたいという気持ちが同時に渦巻くこともある。それって一見矛盾しているように見えるけれど実はちょっと違うのかもしれない。

子供でいたい、大人になりたい、という気持ちと、子供のままでいたくない、大人になりたくない、という気持ちは違う。

マリアちゃんと遊ぶこと、金本さんと遊ぶこと、その両方を取ることが難しいこともある。だけど、マリアちゃんと遊びたく無いわけでは無いし、金本さんと遊びたく無い訳でもない。
ただそれだけなのに教室での人間関係は難しい。

だって私は、誰かを攻撃するより、攻撃される側にいる方がいいのだから。その方が、気が楽だから。とても卑怯な選択だと分かっているけれど、じゃあ、私に何が出来るというのだろう。
私は自分で、何かを決めたくない。
(p124)

攻撃されることはもちろん怖い。だけど、攻撃する側にはまわりたくない。わたしは気が楽だからとは思えなかったけれど、自分で何かを決めたくない卑怯者だったっていうのは、分かる。分かるよ、喜久子。

大人になったら、小学生の頃とは違った悩みや理不尽さを味わうこともある。だけどやっぱり小学校の教室ってそこで世界が作られていた感じがして、ちょっと怖かったなあなんて思い出しました。
小学生の時も、悩みごとは多かったなあ。むしろ今よりあったかもしれないってくらいに。



好きな子と好きな人の狭間

たった一文字、違うだけなのに。

好きな子、なんかじゃない。「好きな人」だ。子と人の違いだけなのに、それだけで、全く違う。笑って話せるか、笑えないか。
(p189)

好きな子、と好きな人、の境目はどこだったんだろう。
気持ちの本気度か、それとも年齢か、また別のものなのか。

お母さんに気軽に話せるのは「好きな子」までだったかもしれない。そういえば「好きな人」はなかなか話せなかったかも。

たった一文字。されど一文字。
その一文字で意味合いは大きく変わる。



好きと疎ましいの狭間

25歳の頃だったかな。母がわたしの前で知り合いに「この子は反抗期がこなくて」と話しているのを聞きました。自分でも反抗期なんてあったかなと思ってはいたものの実際に母が話したその光景は忘れがたいものになっています。だって、あんなに嬉しそうに話すんだもの。

喜久子は肉子ちゃんのことを大切に思っている反面、疎ましく感じていることもある。
何でも信じる肉子ちゃんのことを時には「良かった、疑ってない」と安心し、時には「どうして何でもかんでも信じちゃうんだ」と呆れる。

反抗期がなかったと言われたからといって疎ましさを感じたことが無いわけじゃない。親のことは無条件で好きでいたい。だからこそ疎ましさを感じてしまった時には同時に罪悪感も湧き起こった。

そういえば最近その感情とは随分会っていない。


最近母がよく「あの時はああ言っちゃったけど、嫌だったでしょ。ごめんね」なんてわたしが子供の頃のことの話をして謝って来るようになった。わたしはそれを聞くと毎回鼻の奥がツンとする。

すこしの疎ましさを感じたあの瞬間、きっと母も娘のわたしに対して感じていたんだろうな。親と子で種類は違うのかもしれないけど、ある種の疎ましさというものを。

わたしもごめんね、と心の中でだけ謝る。
口には出さない。たぶん、母はその方が良い。



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わたしにとってはすこし不思議な小説でした。

喜久子と似た部分もあったけど、いつもより第三者目線でしっかり物語を追えた。西加奈子さんの文章がそうさせるのかも。他の物語でもそうだった。物語に没入し過ぎず、自分対物語の良い距離感で向き合って読める。いつだって感情移入し過ぎてしまうわたしにとっては珍しいタイプの作家さん。


そして、これです。

知らなかったチョウチンアンコウの一面を知ってしまって彼らに思いを馳せてひとりでしくしく泣いてしまった程なのですが、それを知ったきっかけが『漁港の肉子ちゃん』でした。

興味がある方は調べてみてください。
ギョギョギョ!と驚くはずですよ。



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