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「持ちつ持たれつ」な関係性|紅の豚

名作というのは何度観ても新たな発見がある。

金曜ロードショーで久しぶりに『紅の豚』を観た。
最初にこの作品を観たのは大学一年生の頃。当時付き合っていたひとに「ジブリで一番好きな作品なんだ」と勧められたのがきっかけだった。三年以上付き合っていたのに、彼とどんなものを食べたのか思い出せない。唯一しっかり味を思い出せるのが、この映画を観た時に彼が作ってくれた和風パスタだ。味付けのメインはお吸い物だった。

あれから金曜ロードショーで放送する度に観直している。そして観直す度に心に留まるシーンが変化している。
社会人になってからはフィオが空の上から呟く「きれい…世界って本当にきれい」のシーンで涙ぐんでしまうようになった。空飛ぶジブリはいつだって良い。


主人公のポルコは空賊を相手にした賞金稼ぎ。それ故に空戦のシーンも多く描かれる。時代背景だって世界大恐慌時代のイタリアだ。
しかし『紅の豚』は観ていて気持ちが良い作品である。

渋い主人公のポルコ・ロッソ、魅惑的なマダム・ジーナ、みんなの人気者・フィオ、憎めないマンマユート団とドナルド・カーチス、「沈没する〜!」なスイミングクラブの15人の女の子たち、少ない出番ながら思わず好きになってしまうフェラーリン少佐。

出てくる登場人物たちに嫌なひとがいないからだろうか。おそらくそれもある。だけど今回観ていてもうひとつ気付いた点があった。作品を通して「持ちつ持たれつ」の関係性を大事に描いているという点だ。


「持ちつ持たれつ」は実際に映画の途中でポルコの台詞として出てくる。中盤を過ぎた辺り、フィオがガソリンを入れてもらうシーンだ。

「ポルコひどいのよ。ガソリンがイタリアの3倍だって、めちゃくちゃよ。足元見ないでまけなさいよ」
(中略)
「払ってやれよフィオ。(中略)ぼってるんじゃねぇ。持ちつ持たれつなんだよ。海も陸も見かけは良いがな、この辺りはすっからかんなのさ」

今までは特に気にしていなかった台詞が、今回は何故か心に留まった。
「ぼってるんじゃねえ。持ちつ持たれつなんだよ」

持ちつ、持たれつ。
互いに助け合うこと。

なるほど、思い返せば『紅の豚』は「持ちつ持たれつ」で回っている。どのシーンを見ても誰かが誰かを助けている作品だ。
賞金稼ぎでありながらヒーローポジションなポルコはもちろんのこと、ジーナの大切な心の支えとしてのポルコ、アドリア海の飛行艇乗りのマドンナであるジーナ、ポルコを助けるフィオやフェラーリン、ピッコロ社で働く女性たち、出稼ぎに行く男性たち。
それぞれが自分に出来ることをしているその姿が、観ていて気持ちが良いのだと思う。自分にできることをして、結果的にそれが誰かの助けになっている。

特に好きなのがフェラーリン。社会で「正しく」やっていくため。そのためにポルコのような賞金稼ぎではなく空軍というのは合っているはず。社会の歯車の中でしか、決められたルールの中でしか動くことができないその真面目さはわたしとよく似ている。あくまでもその決められた中でグレーゾーンのギリギリだとしても自分の信じた正義を貫いてポルコを助ける、その姿勢が好きなのだ。
映画館での「今なら俺達の力で何とかする」や、ジーナが無線を聞きながら言う「F…フェラーリンだわ」という発言から、フェラーリン以外にも空軍にはポルコのかつての仲間がいるのだろうという気がしている。どうかフェラーリンがこれからも自分の信じる道を外れないでいてくれると嬉しい。たまには仲間の力を借りて。たとえ国家や民族というスポンサーを背負って飛ぶのだとしても。


ふと新卒の頃、お世話になった先輩が浮かぶ。

「会社にとっては1円でも安くっていう方がそりゃ良いんだろうけど。でも直接やりとりするのは俺らだからね。会社だけど、人と人だから。あんまり大きい声で言えないけどさ、付き合いやすい相手と気持ち良く仕事をすることを選ぶっていうのも俺は良いと思うんだ。ここぞって時に協力してもらえるしね」


なんだか懐かしいことを沢山思い出した。

仕事でもプライベートでもいつだって気持ち良く過ごしていたい。
そのためには助けて貰うだけではなく、出来ることなら「持ちつ、持たれつ」な関係性を築いていけたら良い。これを今年の仕事の目標にしようと思う。



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