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夫婦2人のライフスタイル。大好きな夫と人生爆進中。DINKs→専業主婦。チャイルドフリ…

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夫婦2人のライフスタイル。大好きな夫と人生爆進中。DINKs→専業主婦。チャイルドフリー。

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2人暮らしのかけがえなさと、メリットデメリットで語れないもの

「子供は損得を超えた所にあって、子なしは取捨選択をしてる」って空気に触れ、子供を持たない人生も損得を超えたかけがえなさに基づいてると思った話。 子供を産む事産まない事の、メリットデメリットで語れないもの 双方よく羅列されるし、私にとって子供を持たないメリットってのは「生活の余裕」や「好きな時に好きなことができる」みたくさんあるんだけども、損得を考えて子供のいない方を選んだのかと言われれば本当の心とは少し違う。 私の場合、 メリットとデメリットを天秤にかけて選んだのではな

    • 子供がいないメリットとか、どーでもよくなってきたそんな自分が好き

      最近、子供いないからこそ〇〇できる!とか、子供がいないメリットとか、そういうのどーでも良くなってきた。 これでいいのかモヤってた時は子供のいないメリットを考えたり、子供いないからこそできることを指折り数えて夫婦2人がいいなと確かめたかった。 これでいいのか?後悔しないのか?自問自答はいくらでもあった。 夫婦2人暮らしのメリットを考えていた頃↓ そのフェーズが終わって気持ちがスッキリしている今、子供がいる事へのネガティブな感情が薄くなったように思う。 選択肢が自分の中で消え

      • 好き勝手お正月2024

        明けました2024年。今年はおせちも予約せず、夫と2人で好きな物をお取り寄せしたり、ちょっと良い肉ですき焼きをしたり、スルメを切って松前漬けを作ったりしました。 どこにも行かなくて2人でダラダラする事に幸せを感じる…安上がりなようなとても得がたい幸せのような。 実家はマンションだし、年に何回も会ってるのでお正月に帰るって概念のない私たち。 お正月にすき焼き、良いですね。毎年恒例にしよう。去年テフロンから柳宗理の鉄フライパンに乗り換えました。使い勝手最高。 初詣も三が日明

        • 「子供がいなくて後悔している」という、自分に満足できない大人たち

          最近の、 「子供を持たない選択をして、歳をとってから後悔している」 「DINKsを希望してる人はよく考えてほしい」 という一見若い人への示唆、または助言。 これ何となく違和感を持って読んでいたんだけど最近腑に落ちてきた。 一言で言えば、 『自分に満足できない大人』 なんだなってこと。自分の選択のケツを拭けない大人。 そもそも子供がいても「人生楽しい人」と「人生楽しくない人」がいるのに、なんで自分が前者になれると思ってるのか?も謎だし。 「後悔している」と聞くと、こうすれ

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          少子化考3「誰も少子化のために産んでないし、私もお国のために産むような借りはない」

          『結婚妊娠出産を選択する時に国や社会の都合は関係ないし、関係があってはいけない』 これは先日Twitterで拝見した一部の隙もない美しい言語化で。 たまに「少子化になるから産むべき」とか「産まないのは身勝手」ってのを見かけるけど、これって何のために言ってんの?って思う。 だってそれ言われて、「じゃあ国のために産もう!」ってなる訳ないじゃないですか。 何のために言ってるんだろう。 「出生率を上げよう」というワードのやばさ 誰だか昔の政治家の「最低2人は子供産んで」発言とか

          少子化考3「誰も少子化のために産んでないし、私もお国のために産むような借りはない」

          時に共感という暴力

          相手の気持ちを自分に置き換えて考える、「もし私だったら」という共感。この共感は時に暴力になるのでは? 端的に言うと、 「自分は別にイヤじゃないからいいでしょ」 がそれに当たる。 人の気持ちになって考えましょう?「人の気持ちになって考えましょう」 「自分がされてイヤな事をするのはやめましょう」 幼少期に教えられた記憶がある道徳の初手、共感。これをお馬鹿に解釈すると、 「自分は別にイヤじゃないからいいでしょ」 という道徳バブちゃんが爆誕する。 本当ならこの共感の次段階に

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          子なしはマイノリティで生きづらい→ 歓迎されてないけど実は生きやすい選択なのでは?の流れ。過渡期の終わり

          最近、#生涯子供なし のタグが流行ったり、子なしへの注目度が高いと感じる。と同時に、子なしは年金辞退しろとかの過激派もいて混沌としてるなーと思っているのだけど、 これは、 少し前は「子供を産まないのはマイノリティで生きづらい」だったのが ↓ だんだん「産む事は正解とされているはずなのに産んだらこの社会生きづらい」になってて ↓ 最近「産まない事は歓迎されてはいないけど実は生きやすい選択なのでは?」の流れが見えてきたんじゃないかと。 過渡期の終わりを感じる。 やりたいことのた

          子なしはマイノリティで生きづらい→ 歓迎されてないけど実は生きやすい選択なのでは?の流れ。過渡期の終わり

          「仲良いのは新婚のうちだけよー」も「子供産まないと後悔するよー」も大抵幸せじゃない人の呪詛

          結婚14年で夫のことが超絶ハイパーエクストリーム大好き。夫に甘やかされる日々を重ねて、付き合ってた時より新婚の時より今が一番大好きを更新してる。なのでn=1としてこの「仲良いのは新婚のうちだけよー」を潰していきたい。 考えてたんだけど、 「旦那さんと仲良いのも新婚のうちだけよー」も「子供を産まないと後悔するよー」も同じ宗派の呪詛じゃない? 私は結婚するまで、「ああそういうものなんだ、何年かしたら旦那うぜーってなるんだ。亭主元気で留守がいいになるんだ」って思ってたのに、誰よ

          「仲良いのは新婚のうちだけよー」も「子供産まないと後悔するよー」も大抵幸せじゃない人の呪詛

          少子化考2「少子化っていうけど日本の1億人は多すぎるし世界の人口は爆発してる」

          前記事、少子化考1「子供を産まない勝手な人のせいで少子化になる」という風潮こそが少子化を招いている話」の続き。 ねえ少子化って何が問題なの そもそも少子化って何が問題なの?という話。 →少子高齢化:人口バランスの崩れによる高齢者を下支えできなくなる現状の問題 →人口減少:人口不足(出生率<死亡率)による社会経済規模の維持の困難、国力低下の将来的な問題 の2つに大きく分類します。とりあえず少子化って問題だよね?ってふんわりした空気感あると思うんですが、 まって、

          少子化考2「少子化っていうけど日本の1億人は多すぎるし世界の人口は爆発してる」

          いつまでLGBTを認める認めないのお気持ちベースで話すのか?性別は二極化でなくスペクトラムを描く

          6月20日、 婚姻制度の目的は「一人の男性と一人の女性が子どもを産み、育てながら共同生活を送る関係に法的保護を与えること」であり、同性婚は認めない事は合憲という判決が出た。 これは端的に言うと都合の悪い人間は我慢してろ、社会システム変容する価値はないという切り捨て判決で、子供を産み育てという文言がある事から「生殖ありきの婚姻制度」と各所でdisられた。 「もはや昭和ではない」はずの日本の2022年の判決だ。 なんで一部の人が権利の欠けた状態で暮らしてるのか 他と同じよ

          いつまでLGBTを認める認めないのお気持ちベースで話すのか?性別は二極化でなくスペクトラムを描く

          少子化考1「子供を産まない勝手な人のせいで少子化になる」という風潮こそが少子化を招いている話

          まず、私は子供を産まない選択をしていますが反出生主義ではなく、産みたい人が産み育てやすい社会を希望しています。そして迷ってモヤついてる時は当事者でもありました。 その上で、オブラートに包んでいるけども、「子供を産まない勝手な人のせいで少子化になる」っていうやつはまずその口閉じろよっていう口の悪い記事です。 「子供を産まない勝手な人がいるから少子化になる」という大胆な勘違い 少子化の遠因はバブル崩壊とかデフレで子供は贅沢品とか言うけども、もはやこれは社会が産み育てるに適してな

          少子化考1「子供を産まない勝手な人のせいで少子化になる」という風潮こそが少子化を招いている話

          そろそろ「子なし夫婦、何もしないで日々ダラダラ生きる」ってのもロールモデルに入らない?

          子なし夫婦ワゴンで日本一周も素敵だし、子供がいないからこそキャリア積んで仕事頑張るのも素敵だけど、そろそろ「子なし夫婦、何もしないで日々ダラダラ生きる」ってのもロールモデルに入らない? と思ってますどうも。 DINKs、選択子なし、チャイルドフリー、反出生主義、と色んなカテゴライズがあるけども、私達夫婦は結婚当初DINKs→現在ほぼ専業主婦でこのまま夫婦2人暮らしを爆進する予定です。 子供を持たない事に特別な理由はなく、育った環境も普通だし反出生の主義主張もない。 二次

          そろそろ「子なし夫婦、何もしないで日々ダラダラ生きる」ってのもロールモデルに入らない?

          数学的なアプローチから人間には設計者がいる

          生きることに意味はない、生命活動は粛々と続くだけ、と前noteに書いたんだけど、なぜ生きるのかという人生哲学と比肩する「この世界は人間はどうして出来たのか」という謎について一般人(私)がつらつら考えたこと。 私達は海の泡粒だった私達は大昔、海の泡粒だった。いわゆる生命誕生の起源説。アミノ酸→タンパク質へロマンを託したとされている。以下参照「生命誕生初期のタンパク質を再現する試み-7種類のアミノ酸で古代タンパク質は創れる-」 果てしない。正直分からん。謎。タンパク質からファ

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          子供のために生きるという理由付けのできない私の「生きることの意味」

          「何のために人は産まれて生きるのか?」 「生きることの意味は?」 この人生最大の謎、答えを出した者はまだいない。 なので個人的な人生哲学をそれぞれ個人が導き出す事になる。 子供がいたら、自分の人生のピークがそろそろ過ぎる時点で子供に軸を移動できる。なにより、「なんのために生きるのか」って人生哲学の答えが目の前にいるって強い。 誰かのために生きるのは容易い。ただ自分のために生きるのは難しい。 「生きる意味」の人生哲学(難題)って、子供のためとか、子孫を残すため、ってい

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          襲われるのは女性の方にも非があるというヴィクティムブレーミングと過剰な自己責任論

          先日、ソロキャン女性が性被害に遭った件で、様々な意見が散見されてそれを興味深く見ていた。 中でも特に目に付いて気になったのは「自衛しない女性にも非がある」という意見で、 痴漢でも性被害でも、どんな短いスカートを履こうがソロキャンしようが襲ってくる加害者が100悪いのに、 「自衛しない方にも非がある」 「劣情を煽る方にも責任がある」 ってさも正しいように被害者批判が起こるのは『ヴィクティムブレーミング』と言う。なぜか加害者を庇ってしまうもので、倫理観が底辺であると自ら

          襲われるのは女性の方にも非があるというヴィクティムブレーミングと過剰な自己責任論

          「子供がいるかいないか」で世界は二分されない、私達夫婦に似合う生き方

          子供を持つか持たないかで悩んでた時期は「子供がいるかいないか」で世界が二分されるような気がしたけど、冷静になると子供がいるいないはその人の側面のひとつでしかない。 そう思うと「子供がいない」ことも大切な私を形作るエッセンスのひとつで、私が私らしくいられる事のひとつ。 そんな分断されがちな話題について。 私に似合う生き方、私達夫婦に似合う生き方子供いないから最高!というよりは、私は私であるから最高!って感じ。 『私はね』 というのを強調したい。 私は結婚して幸せだけ

          「子供がいるかいないか」で世界は二分されない、私達夫婦に似合う生き方