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老後にしたい事は取っておかない。今する説

私と夫、結婚してからずーっとお仕事が不安定や激務なりに話して考えてる事があって、

「今やりたい事を「いつか』にしない」

→今したいことは今する


夫が激務の時に、今は休みないけど老後に旅行に行こうねって言ったら夫に、


「やりたい事を取っておかないで、今ちゃんと楽しもう」

って言われたのがきっかけ。


「今と60歳の旅行は価値が違う。感性も違うし今の思い出はこの先何十年も『楽しかったね』って共有できるけど70歳にした旅行は10年くらいしか反芻できないよ」
って。


学部所属の激務で休みがなさすぎて未来に託すしかなかった時に夫にそう言われて、この人つよ!って思った。
言われてみればそりゃそうで、いま、楽しいを積み重ねられないのに70歳になっていきなり楽しめるかって話と、未来に今を掛けられるほど未来って確実じゃない。


今出来ることは忙しくて無理なことたくさんあるけど、その時からしたい事を極力する!ってのがテーマになって、夫が仕事終わってから温泉泊まって翌日温泉宿から出勤とか、半ば無理やり楽しむようになった。


退職後たくさん旅行しよう!って言ってた親世代が体悪くしたり、したい気力がなくなったりして叶えられないパターンもみて、ますますその思いは強くなった。

また、歳をとって「したい事」や「興味」がなくなる事もこわいなと思った。

少し前にみた、

「老害とはウォーリーを探せなくなった人」

ってめちゃくちゃパワーワードすぎて。

「人の目を気にしなくなったら、人から評価されるポイントが意識できなくなる」
「その人はもう二度とウォーリーは探せなくなり、後には無目的で退屈なイラスト集だけが残る」

これは老害について言及した話だったんだけど、もはやホラー並の恐怖。

私は永遠にウォーリー探したいし、夫と夏休みの子供みたいに遊びたいし、目に映る世界は素晴らしいものでずっとワクワクしていたい。夫婦で一生冒険の旅が理想だし、それは遠くじゃなくても近くの公園でもいい。身近な木々が変わっていく様、初めて発見した路地、世界の変容を興味深く拝見していたい。

ウォーリーがただの乱雑な絵になるならそれまでにたくさん美しいものを見て、なるべくウォーリーにはウォーリーらしくいてもらわないと困る。

私は刹那的に生きてる訳じゃないし何十年先も生きる気満々ですが、矛盾するようだけど同時に今日と同じ明日が来るか分からないとも思う。


そのような理由で私は今を全力で遊ぶ。今やりたい事は今する所存。


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