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歳を重ねることとルッキズム

前に、子なし夫婦の先輩のロールモデルがないから不安って言ったような気がするんですけど、大好きな人が楽しそうにしててこの先がめちゃくちゃ楽しみ。ワクワクする。そんなワクワクする自分がこれまた大好き。

ある一定を過ぎたら歳をとる事がネガティブに感じると思うんだけど、それって根底にルッキズムがあるからだと思う。私も例外ではなく。

夫の白髪は好ましくてかわいい。

だけど、私自身の白髪は多分出てきた瞬間に秒で抹殺します。これって年齢を受け入れることと矛盾してるのではとふと思ったり。

「どう見られるか」じゃなくて「こうありたい」自分の追求だとしてもね。女性は特に見た目に重きを置かれて生きてきたし、市場価値なんて馬鹿馬鹿しいと思いつつ自分の中に根深くあるような気がする。女性としてチヤホヤされてきたからそれを手放したくないとか?

例えば、

「店員と言い合ってる現場に私が来た途端態度が和らぐ」

とか、

「人んちの生垣の中の野良猫を見てても不審がられない」

とか、一見ルックスと直結しないような、でも確実に享受してきたもの。婚活市場のように並べて優劣つけて値札を貼られるようなあからさまなものではなく、日々の中で当たり前にあるもの。

でも私個人で思い返してみれば、若い時って軽んじられてるような気がして早く大人になりたかったし、知らない事だらけで未熟なのが恥ずかしかった。大人になって成長過程思い出すと恥っずー!ってなるし昔に戻りたいって思ったことなんかない。

まあそりゃ冷静に考えたら、年齢を重ねて失うことより得ることの方が多いし、失うことの1つには「未熟」もあって手放せて嬉しい事もあったりする。

若さのアドバンテージって幻想なんじゃ?

と思う今日です。(マイナス5歳肌にはなりたいけど)

夫はずっと、それこそずーっと、車道の反対側を歩かせてくれるし、雨の日には車の助手席まで傘まわしてくれる。多分おばあちゃんになったら「シワがかわいいね」って言うんだろうね。

歳をとれることは当たり前じゃないし、今日という日が来て良かったと毎日思うくらい尊い日を過ごしてる。

願わくばお茶飲み友達くらいの親密度で、じっくり腰を据えて年齢と付き合っていきたい。

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