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歳を取ると自分もパートナーも"柔軟性"が徐々になくなっていくねっていうお話

僕はもうすぐ35歳になる元気なおじさんだ。さて、「歳を取るごとに柔軟性がなくなっていく」っていうのはどこかで聞いたことがあるかもしれない。

都市伝説か何かかと思ってたら全然都市伝説じゃなかった(語彙力)

価値観の違いを埋める努力が
出来なくなる

僕は20代後半の頃結婚するんだかしないんだかみたいな女性がいた。

理系の会社に勤めて器量がよく、もしかしたら彼女の方が当時の僕の収入を上回ってたかもしれない。

仕事柄とても論理的に家事をしたり常に将来のことを考える人だった。容姿も端麗で、職場でも期待されていたみたい。

対して僕は論理性0の超適当な人間であった(今もだけどww)

理屈や合理性なんてものなんて僕には存在しない。好きなときに好きなものを食べ、好きなときにお昼寝をする。

持ち得るのは最低限の道徳のみ。ほとんどを右脳で判断する。基本気分や感情で動くのだ。

どうか性なる妖精のようなものをイメージして欲しい。

自分を美化するな


考え方の違いで大小問わず色々食い違いが起きる

例えばだけどこんなことがあった。

レトルトカレーを温めるとき

こういうふうに温めるとき、僕は常温の水の状態から入れちゃうの(結局最後は温まるから)

だけどその女性は
「説明書きに"沸騰してから5分"と書いてるのにどうしてそうしないの?」

と疑問に持ったのだ。メーカーが表記しているから、最も美味しく食べられるのではと言うのだった。

僕は当時その人が大好きだったから沸騰してから温めるようにした。

だが後日違うものを温めるとき、600Wで3分 500Wで4分のものがあった。うちの電子レンジは700Wと500Wしかないため、

いつもなら700Wで2分くらい適当に温めるがその人がいる手前500Wで4分温めた。

そしたら
「どうして700Wで温めないのか?」

と言うのだ。

俺には分からねぇ


えっと、メーカーが示したから最も美味しく食べられる...と言いかけたところで
少しは環境のことを考えろと言われた。

でも当時はそれでも大好きだったから我慢できた。友達に頼んで物事を論理的に、結論から物事を伝える練習もした。

誰かと何かを議論をすることが
いかに不毛かということ

僕の身の回りの友人は左脳でモノを考える、論理的な人が多い。なぜなら自分と真逆で面白い。僕がふざけたことに的確なツッコミを入れてくれたり、

僕が本当に困ったときに手を差し伸べてくれたり。本当に頼りになる。

女性はこんな僕を見兼ねて「なんとなくほっとけないから」と言ってくれる自立した女性とお付き合いすることが多い。

だけど異性として一緒に長い時間を過ごすとなると相手の女性も"耐え難い"のだと思う...笑

環境と言えば、例えば今の彼女も理系寄りなので、飲食店のストローが紙だと舌触りが悪いね、なんて言うと

プラスチックから紙にすることでどれだけ環境に良いかとかって言うわけよ。しかもそういうことにとても詳しいの。

昔の僕だったら相手の関心があるニュースは知って武装しとこうとか、パートナーとして話せるようになっとこう!って心から思えたの。

だけど今はね、もう人と議論したくない!

紙ストローがどれだけ環境に良いことを理屈を交えて論破したとして何になるのかも分からないし、

例えばフロンガスで温暖化になっていることもピンと来ないし、僕らはそれに対して案ずることはあってもどこかに寄付してるわけじゃない。

他人事のようにしててたら大人として白い目で見られるから最低限の常識を知っとくのも嫌だ。

僕は自分で自分のお金を稼ぎ、自分の暮らしを手に入れた。
誰かと"支え合う"必要はない。むしろ放っておいて欲しいときすらあるのだ。

結婚するわけじゃないのから誰かととことん向き合う必要もない。他人と分かり合おうという労力を、何か別の学びに充てる。

別段これ以上暮らしを良くしようだとか思えないのだ。特定の誰かより自分の暮らしを愛してしまっている。

僕は結婚は望まないけどパートナーが欲しくて恋活を始めたけども、もう僕にとっては"パートナー"すらも必要ないのかもしれないね。

どこか寂しいとか、いてくれると安心という、いっときの感情になんとなく流されているだけだった。そう望むのも、もうおこがましく思えるんだ。

僕は一度はかっこいい車に乗ってみたり、大きな家に住んでみたりして、足るを知ることによって今のこじんまりした暮らしを愛せるようになった。

一度は本気になれそうな好きな人を探してみたが、僕には必要ないんだ。足るを知った今はそう思える。

この1年かけて僕の個性を理解することができた。それも幸せな形なのだ。

決して悲観したり途方に暮れているわけではない。同性異性問わず、これから出会う相手に期待もせず、がっかりもせず。

フラットな状態でありのままの違いを楽しむというのも悪くはない。だから人と会うのは変わらずに好きだな。

でも僕はたくさん遠回りしてしまったけど無駄なんてなかったと思うよ。アホなことをしたときもあったけど、何が必要で何が不必要なのか、色々気付けた1年だった。

今年1年間noteを読んでくれてありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。

今年の1月1日からnoteを初めてここまでフォロワーさんが増えると思ってなかったし、ここまで有料記事も売れるとは思ってなかった。

来年のnoteはどんな内容を書くだろう?性なる妖精として自由に飛び回るのか、本を読んだり旅行するなどをして静かな時間を楽しむか。笑

これからもおじさんのことを観察してくれると幸いです。



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