発達障害日記0402(蟲師と発達障害者生存の話)

 発達障害の当事者がそんなに発達障害をフィーチャーしては書かない発達障害日記。発達障害とは主張するものではないッ!まろび出るものであるッ(高めの温度感)。さて、今日は漫画の話を書こう。でも真面目な話だよ・・・『蟲師』と発達障害の生存の話。

・『蟲師』知ってる?

  講談社から発表された漫画。1998年四季賞で入選した短編を連載用に直したもので、作者漆原友紀氏の商業デビュー作。
 舞台は、山深い森を有する日本。時代はいつだろうか。江戸の続きか、明治の前か。
 「蟲」と呼ばれる怪異があり、主には人に仇なす。蟲を鎮める「蟲師」のギンコが、山間の村で、海辺の集落で、田のある里で、蟲と、蟲にまつわる感情を眺めて歩く。
 淡い水彩と形のはっきりとしない絵は題材に素晴らしく合っている。「蟲」はすべてがあいまい。怖いようで、あたたかくもある。不幸なようで、幸福でもある。ただ分かるのは、「蟲の考えていることは誰にも分からない」。蟲に憑かれた人間が迎える人の常識から外れた結末。しかしそれは、本当に悲しいことなのか・・・?
 製作されたアニメーションもクオリティが高く、海外での評価も高い。先日、台湾でサイン会が行われたようだ。発表期間は2013年まででありながら、いまだに国内外で評価され続けるマンガである。


・民俗学を少しかじった、発達障害者のわたしは。


 で・・・・
 あの、柳田圀男の民俗学を、少しかじってるんですよ。わたし。いえね、美大で美術史なんかを学びましたけど、どうしたってキリスト教由来の感情っていうのはピンとこない。美術史ってメインストリームが西洋なので。んんじゃあやっぱりジャパンのところをやるべきじゃない!?ってレポートに民俗学のことをしこたま書いたらちょっと怒られて(うん美大で美術やってんのに民俗学でやっちゃダメだよね)、
 と。に。か。く。日本に残ってる、自然発生的に立ち上がる文化風習ってのはこれ、西洋とは異なる部分がありましてね。
 『蟲師』、というか、「蟲」はそんな、西洋の価値観からちょっと違う位置にいると思います。善悪の二項対立ではない、善と悪がまじりあうモノ、それが蟲。一神教の「悪魔」ではない。多神教にいた「妖精」は少し近いのかもしれない。
 ンデスケドオッ!
 あの、明治以降の日本、西洋思想を取り入れて「人権概念」を設けましてね。いえ、明治その時は非常に限定された人権概念だったので現在とはずいぶん違いますけど、というか、だから明治以前は人権概念がないわけです。
 となると、『蟲師』の舞台となる、明治以前(かな?)の村落にある法とは、明文化されていないムラの掟・・・
 俺ダメ!!そういうのダメ!絶対掟読めない!!!ムリ!怖い!!
 『蟲師』のマンガそのものは大好きです。本で買ってあるしアンソロジーまで持ってて(肩入れ!)、災害とも祟りとも言えない、人に悪いとも良いとも言えないそのあやふやさと幽玄な残酷さにシビれます。
 でもたぶん、わたしあの村落で生きてたらすごい勢いでつまはじきにされる。理由つけていけにえにされる。明文化!法律!プリーズプリ―ズ!!!

 

・人権大好き!個人主義だいすき!


 わたしが民俗学に興味を持ったのは「怖い」からです。
 わたしのよーな、空気を読むことのできない神経系を持ってると、明文化されていないルールほど恐ろしいものはありません。いったいどのようなものなのか?
 『蟲師』は、健常発達の人でさえそれを「読むことができない」というところにシビれているのかもしれません。ほらあ!読めないとこうなるんだよ!!怖いデショ!

 いやあ・・・人権大好き。個人主義大好き。文章ではっきり言おう。その方が楽だから!お互い!

 『蟲師』の世界にあこがれはあるけど、わたしはあの世界では絶対生きていけないな、って話。

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