発達障害日記0405(カラオケと不登校児たちの話)

 新しい期の初めての金曜日いかがお過ごしですか。何も変わりません発達障害日記です。今日はカラオケの話をしよう。思い出話です。

・なんであんなにカラオケばかり行っていたんだ

 なんかあ~~~
 1980年代生まれなんです。早めの。このくらいの世代の、関東近郊ベッドダウンの子ってお分かりいただけるかと思うんですけど、娯楽として「プリクラとカラオケ」みたいなところがありまして。プリクラ撮って、カラオケ行って、人によってはゲーセン行って、みたいな感じでしょうか。今みたいにスポッチャとか無いし、とは言え自転車で20分も走れば(体力!)3階建てのスーパーとかがあって、その3階にゲーセンとかプリクラがあるんです。カラオケはちょっと大きめのターミナル駅の駅前です。これは自転車で40分ですね(体力!)。

・歌という非言語コミュニケーション

 今の子たちがカラオケに行っているか?ってちょっと分かんないんですけど・・・
 わたし、わたしの個人的な思い出で行くと、わたしは中学校の頃不登校児だったんですね。発達障害のもろもろの諸症状の結末でもある気もするし、1990年代特有の閉塞的な空気感のせいもあるかもしれません。というのも、わたし以外にもいわゆる「保健室登校」をしていたこどもたちが10人くらいいたんですよ。多いな!
 主にアニメが好きとか、オタク傾向のある子が多かったように思います。その当時、オタクという属性は全く陽の当たらない存在でしたし、いじめの対象でもありました。なもので、アニソンは彼らの共通項ではありました。わたしはアニメに詳しくなかったんですが、カラオケボックスで覚えたアニソンはたくさんあります。コミュ障でも、カラオケでアニソンを歌えればそれは共感の時間を過ごすことはできました。中学生の頃通い詰めたカラオケは、1室1時間500円という金額体系でした。最初はアニソンを歌っていても、その後2時間くらいマッタリして、それでも一人200円とかで済みました。そんな思い出です。

・なんでいきなりカラオケの話し出したの


 って、あれです、Twitterでポルノグラフティの話題を見ちゃってねえ。わたしはド世代なので、ポルノグラフティの『アポロ』の歌い出し、「・・・・ぼっくらっのッ」というあの唐突な歌い出し死ぬほど歌ったなあと。
 と言いつつ、さらにカラオケにまつわる思い出も思い出しちゃって。確かに、あの時間は非言語コミュニケーションだった。磨かれた技術でも、自分を表現するアートでもない、コミュニケーションとしての歌がカラオケ。

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