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小さなプライドなら、捨てればいい。

気づいてしまった。
小さなプライドを大切にしていることに。

寂しかったら寂しいと言えばいいし、
分からないことは、分からないといえばいい。
強がらなくていい。単純なことだけど、これができれば、もっともっとラクに生きれる。

NYに来て、想像と違う毎日を過ごしています。脱皮の最中かもしれない。少しづつ、皮を剥ぐように、自分の小さなプライドを脱ぎ捨てると優しい世界が待っていました。


素直な人は、気になる存在

NYに来て早1ヶ月が過ぎた。
私は、今、NYのルーズベルト島に住んでいます。日本人の駐在妻が多くいる、割と治安が良いと言われている場所。


島の中央にある公園に行くと、日本人が輪になり話していることも、しばしば。私はベビーカーを押しながら、その輪に入ろうか、入らないか、話しかけるか、話しかけないか迷う。結果、話しかけず、日本人の輪を気にしながら、息子と遊ぶこともよくある。

でも、やっぱり話したい。お友達がほしい。素直じゃない自分に呆れます。

ここで、「私、引っ越してきたばかりで、お友達がほしいんです。」と言えば、かわいいではないか。私だったら、こんなことを言う素直な人は、気になる存在になるに違いない。


小さなプライドがなければ、ぐいっといけるのに。
何を大切にしてるのだろうか。


分からないことは恥ではない

「How are you?ごちゃごちゃごちゃ?」

初めの導入部分は分かるのに、途中、肝心なところは何を言っているのか分からない。こんなこともしばしば。

息子の幼稚園が始まる前に、個人面談が2回もあった。マンツーマンで話すと、逃げられない。

「ンフ,イエス.」

相づちだけはかっこよく出来るようになった。わかったフリをすることに慣れてしまって、聞き返すことを躊躇する。分からないことが、恥だと思っていた。

違うな、これも小さなプライドがかなり邪魔をしている。

「Sorry?」

この一言を言うだけで、ゆっくり話してくれる。分かりやすく噛み砕いて教えてくれる。

最近は、「I'm studing English now.ahaha.」と自分から「今、勉強中なの、あはは。」と言うようになった。すると、優しい口調で話してくれる。(さすがにお店の定員さんには言えない。)

または、「I am Japanese.」と言ってみたりする。呆れた顔をされることもあるが、それはスルー。

冷たくされることに慣れたのではなくて、もう会わないだろうから、いっか。と楽観的にいることを選択するだけだ。


オープンハートはラクな生き方

プライドは、必要なときもあるかもしれない。

でも、今、この場所に来て思うことは、そんな小さなプライドは捨ててしまったほうがいい。

大きく羽を広げて生きたほうが、ラクに決まってる。わかったフリをしたり、強がることは、どう考えても必要ない。
オープンハートで生きようではないか。


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