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脳さん #エッセイ

 なんだか気が重い。理由は分かっているが、人間というものは、その状況が改善しない限り、気が重いのである。
 自分にだけ焦燥感を抱いているのでは良いが、そればかりでないのが厄介である。
 通勤電車で、ギリギリに滑り込んでくるサラリーマン。小学生が、道いっぱいに広がり魚群のように、一匹のマグロを飲み込もうとする。席が空いているのにも関わらず、あえて隣に座る怪しげなおじさん。
 どれもこれも、普段は脳さんが認識しないはずなのに、なぜかこの時ばかりと、ビンビンに反応するのである。なんと言おうと、腹が立ってきてしまう。同時に、「あなたは本当に小さい人間ね。もっと大人になりなさいよ。」と脳さんが煽ってもくるのである。
なぜだ。あなたが認識しなければいい話だろう?と余計にもやもやするのである。
とにかく、理由を改善すれば、私の脳さんは落ち着いてくれるはずである。
こういう時の私は、失敗ばかりであった。
人生の中でもイベントは訪れるもので、私も何回か重要なイベントがあった。

数年前、友人の結婚式の余興を頼まれたことがあった。頼んでくれる嬉しさと同時に、気が重いのである。友人は、私を信頼している。からこそ、それに答えないといけないというプレッシャーも、より私に負荷をかけていた。脳さんがいつも以上に「やるからには、ウケないとね。」とかなんだか、煽ってくるのである。

本番当日をむかえ、全力でブルゾンを披露したのである。練習を繰り返し、メイクもバッチリで、衣装も用意した。さて、やるぞ!と、扉が開いた瞬間、「頭が真っ白」になったのである。
「あれ、言葉がでない」「何も思い出せない」のである。
余興は散々たる雰囲気となり、終了した。
今でも思い出せば、いつでも泣けてくるのであるが、友人を祝う席で、友人に慰められるという最悪な結果をもたらした私で、涙ながらに謝意と後悔の念を伝えている間にも「本番に弱いのね」と脳さんが追い討ちをかけてくるのである。
「おい!大事な時に、働かないくせに。嫌味ばかり言いやがって!」
と、言い返してみるが、その後は無視である。
新郎新婦が「いい思い出になったよ。有難う」とかけてくれた言葉を頼りに何とか自我の崩壊を食い止めているのである。私が逆の立場であっても、そう言ったに違いない。
むしろ兵庫県議の号泣謝罪会見のように「わたしはー余興のー選ばれてー、練習して、必死で、考えてーやってきたんでずうううう。」と号泣しながら釈明の時間を用意して欲しかった。

私は、本番になれば出てこない脳さんに驚き続けている。
受験だってそう。自分の結婚式のスピーチだってそう。
脳さんは大事な時に私を「無視」するのである。

そんな人生で何度かあるイベントの本番が近づいていて、本番は無視を決め込む脳さんに、気が重いのである。
そんな時に、昨日飛行機に乗ったのである。
隣には2歳にならないくらいのお子さんとお母さん。
この先の展開がうっすらと、しかし確率の高そうな様子を想像してみることができたので、「脳さん、もしお母さんに、すみませんすみませんと言われた時になんて言おうか考えておこう。」と相談を持ちかけ、いくつかのパターンを用意して置くことにした。

1時間ほどのフライトの間中、予想通りの展開であった。
「ママあああーうわーん。アブーアブー。」と泣き叫んでいた。

気が重いのもあり、いつもより、脳さんが焦燥感を煽ってくる。
お母さんが「アブーもう少しで見れるから頑張ろうね。」というと泣き止むのである。
「アブアブー」


無事空港へ到着し、最後に待っていましたとばかりに、
「すみませんでした。」とお母さんに言われたので、

「何も気にしてないので、大丈夫ですよ。どんな人もグズらずに成長してきた人なんていませんから。」
と自己陶酔し切った言葉を返す予定であったが、

「あ、あ、お疲れ様でした。」
という用意もしていない、何ともよく分からないことを言ってしまった。

この時も“だんまり”を決め込む脳さんに、肩を落としながらも、今日も本番に向けて頑張るのである。
是非わたしも、「アブー」を見てみたいものである。

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