まど・みちお「どうして いつも」を読む

太陽

そして



やまびこ

ああ 一ばん ふるいものばかりが
どうして いつも こんなに
一ばん あたらしいのだろう

 この詩は、一見、ただ単純に自然を讃えるだけの作品にも感じられる。しかし実は、そうではないのだ。そのことについて、以下に説明したい。
 この詩に登場する自然の事物が、皆、大昔から存在するものであることは、一読してもらえば分かると思う。しかし、作者がそれらを指して「一ばん/あたらしい」と言うのは、一体なぜだろうか。その理由は、第一連と第二連で、多少異なっている。
 というのも、第一連に登場するのは、「太陽」、「月」、「星」だが、これらの天体達は、文字通り大昔から同一の物体として存在している。これが、「ふるい」という語の意味である。そして、地球の自転によって、それらの天体は、毎日我々の上空に現れては消える。その意味で、天体は日ごとに「あたらしい」のである。
 一方、第二連に登場するのは、「雨」、「風」、「虹」、「やまびこ」という気象にまつわる現象などである。これらもやはり、大昔から存在する事物であるが、同一の物体として遙か昔から存在する天体とは異なり、それぞれが一回限りのものである。この「毎回生じては消える」という意味において、これらの現象は「あたらしい」と言える。しかし、例えば「雨」や「風」などの概念そのものは、大昔から存在しているので、これらは「あたらしい」と同時に「ふるい」ものでもあるのである。
 以上により、この作品は、ただ、自然というもののこの世で「一ばん/ふるい」ものという特徴、もしくは「一ばん/あたらしい」ものであるという特徴のみに注目して、それを讃えているのではない。むしろ、自然というものが<古さ>と<新しさ>を兼ね備えたものであるという点に注目しているのである。自然というものの相反する二面性を、見事に捉えた鋭い一篇であると言えよう。

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