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太宰治「男女同権」について —脚色されない記憶—

 今回は、太宰治の短編小説である「男女同権」について書く。
 この作品は、「十年ほど前から単身都落ちして、或る片田舎に定住している老詩人が、所謂日本ルネサンスのとき到って脚光を浴び、その地方の教育界の招聘を受け、男女同権と題して試みた」(太宰治『太宰治全集8』ちくま文庫、p,320)講演の速記録の形式を取っている物語である。講演者の老詩人の語りによって、話は進んでいく。
 そして、この作品の題と、講演の題の両方が、「男女同権」となっているが、その内容は、いわゆる女性の権利を主張する“男女同権”にまつわるものでは全くない。むしろその反対で、女性に対する男性の権利の主張、女性による男性への暴力の摘発を、その主眼としている。と言うと、堅苦しい響きがあるが、簡単に言ってしまえば、老詩人による自分の数々の女難話の披露なのである。それも、どのエピソードも、講演会という席には一見相応しくない、個人的な恨みつらみを並べたものであるのがその実態だ。だから、この作品を、本来の意味の「男女同権」——男性に対する女性の権利の主張——を茶化した、パロディーであると考える人もいるだろう。
 しかし、この老詩人の語りの内容は、ただのパロディーにしては、あまりに奇異であると、私には思われる。老詩人の語りは、「不思議な」と形容されるぐらい(作品の冒頭の頁には、「不思議な講演の速記録」という注意書きが添えられている)、他人から理解されにくい要素を含んでいる。そもそも、“男女同権”というテーマの下で講演をしろ、と言われたら、ほとんどの人が、女性の権利を主張する内容を語るだろう。その中にあって、この老詩人の話は、異質であると言える。
 さて、この老詩人は、小学校を卒業しただけとはいえ、このような講演の場に呼ばれるくらいだから、一応の教育はある人物なのだと考えられる。「民主主義」が何なのかは知らないにしても(324頁)、知能というものが全くない人間ではないということが言える。しかし、この老詩人は、小学校は卒業していても、肝心な部分が教育されていないのではないかと、私は考える。なぜなら、この人物の話す内容は、どこか「変」だからだ。
 例えば、母親から苛められたというエピソード。この話を聞いた人は、十人中十人が、「変わった話だ」と答えるだろう。具体的には、母親の、「その犬の子は兄さんのごはんで育てるのだからな」(同書、p,325)、とか、「かえしてやれ、かえしてやれ、それはごはんをたべる虫だ」(同書、p,325)などの会話が、全く意味不明である。この母親の場合だけではなく、詩人を苛める女たちのエピソードには、不可解な部分が多々ある。そして、その不可解さは、詩人と女たちとの間にコミュニケーションが上手く取れていないことから生じているように感じられる。だから、彼の話を読んでいると、女たちは、こちらの意図が全く通じない化け物のような存在であるかのように思えてくる。
 しかし、そんな化け物のような女が、実際にいるだろうか。私は、彼が出遭った女たちは、何のことはない、ただの女性であったのだと考える。ただし、普通の女よりもやや意地悪ではあったかもしれないが。この詩人は、意地悪な女性にちょっかいをかけられやすい質の男性だったのだろう。
 では、作中の女性たちの、理解不能な行動については、どう考えるのか。それについて、私は、以下のように考えている。
 この作品では、老詩人の女難話が時系列に沿って並べられているが、前半は理解不能な意地悪の話(母親の話など)、後半は比較的分かりやすい意地悪の話(「婆さん教授」の話など)と、分かれている印象を受ける。これは、母親の話などの前半のエピソードが、それを体験した時点でまだ物心が付いていなかったため、正確な記憶ではないからか、と考えられる。
 しかし、女たちの言動の不可解さは、老詩人の記憶の曖昧さだけに起因しているわけではない。彼の感性そのものにも問題がある。
 例えば、

  私が十歳くらいの頃の事でありましたでしょうか、この下女は、さあ、あれで十七、八になっていたのでしょうか、頬の赤い眼のきょろきょろした痩せた女でありましたが、こいつが主人の総領息子たる私に、実にけしからんことを教えまして、それから今度は、私のほうから近づいて行きますと、まるで人が変ったみたいに激怒して私を突き飛ばし、お前は口が臭くていかん! と言いました。あの時のはずかしさ、私はそれから数十年経ったこんにち思い出しても、わあっ! と大声を挙げて叫び狂いたいほどでございます。(同書、p,327)

 というエピソードがある。
 ここで、本来重視すべき出来事は、詩人は幼い頃、下女から性的虐待のようなものを受けていた、という事実である。この箇所で起こっている「事件」めいた出来事と言えば、それだろう。普通の人は、ここに主軸を置いて、この出来事を把握するものと思われる。しかし、この老詩人は、そうではなくて、「お前は口が臭くていかん!」と言われたことの方を、思い出の中心に置いている。
 また、別の例を見てみよう。

  忘れも致しません、残暑の頃の夕方で女房は縁側で両肌を脱ぎ髪を洗っていまして、私が、おいきょうは大金を持って来たよ、と言い、その紙幣を見せましても、女房はにこりともせず、一円札ならたかが知れている、と言いまして、また髪を洗いつづけます。私は世にも情無い気持ちになりまして、それではこの金は要らないのか、と言いますと、彼女は落ちついて自分の膝元を顎で差し、ここへ置きなさい、と言うのです。私は、言いつけられたとおりにそこへ置いたとたん、さっと夕風が吹いて来て、その紙幣が庭へ飛び散りまして、一円札でも何でも、私にとっては死ぬほどの苦労をして集めてきた大金です。思わず、あっと声を挙げて庭に降りてその紙幣の後を追った時の、みじめな気持ちったら比類の無いものでございました。(同書、p,337)

 これも、「ここへ金を置け」と言われて置いたら、風が吹いて金が飛んでいった、というだけの話である。この女性は、やがてこの詩人の仲間である若い男と通じて、詩人を捨てて逃げて行く。そちらの方が、「事件」としては重要であり、普通はそちらに話の主軸を置いて記憶する。なのに、老詩人は、女の意地悪のせいとは決して言い切れないような、金が風に吹かれて飛んでいった話について記憶の大部分を割いている。
 このように、この老詩人の、女から受けた意地悪に対しての記憶の仕方には、独特のものがある。何を不快な出来事として記憶するかということにおいて、彼の感性は、普通の人とは異なっている。しかし、また、こうも考えられる。彼は、自分が心に感じたことを、嘘偽りなく語っているだけであると。実際、女に浮気された出来事よりも、「ここに置け」と言われた紙幣が飛んで行ってしまったという出来事の方を覚えているというのは、人間の記憶の在り方としては、よくあることだと言える。しかし、普通は、その記憶を理解しやすい一般的なものに脚色して、自分自身で把握したり、他人に語ったりする。だが、この語り手は、そうしなかった。彼は、自分が女のどんな態度に、不可解さを感じたり、不快な気持ちになったりしたのかを、脚色せずに、正確に把握し、語っているのである。他のエピソードにおいても同様に、彼は脚色せず、正確に把握していることが指摘できる。
 以上より、この老詩人には、出来事を脚色せずに語るという性質があると言える。老詩人の語りの異質さの正体は、彼のこのような性質だったのである。

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