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山崎るり子「ふた」について(2) —地球の平和と鍋のふた—

             ふた 山崎るり子

 おなべのふたを そっととる
 のののののと ゆげがのぼる
 いいにおいで
 おもたくなったゆげがのぼる
 めがねがくもる
 あたりがぼんやり やわらかになる
 おなべのやさいも
 ぼんやり やわらかになる
 だいじにだいじに ふたをする
 ことことことことと
 ときがすぎる

 ちきゅうのうえの
 ちいさなだいどころで
 そんなふうに くらしている


 私は、以前に一度、山崎るり子の「ふた」について書きましたが、今回は、前とは異なる解釈が浮かんだので、改めてこの詩について意見を綴ろうと思います。
 さて、私は、この詩のテーマは「地球の平和」であると思います。そう考える理由は、以下のようなものです。
 第一連の、「おなべのふたを そっととる/のののののと ゆげがのぼる/いいにおいで/おもたくなったゆげがのぼる/めがねがくもる/あたりがぼんやり やわらかになる/おなべのやさいも/ぼんやり やわらかになる/だいじにだいじに ふたをする/ことことことことと/ときがすぎる」という記述。ここで描かれている、鍋のふたを取って閉める、という動作は、私たちにとってごく身近な行為です。この第一連に書かれている内容は、私たちにとって、どれも共感できるものであると思います。
 しかし、第二連の、「ちきゅうのうえの/ちいさなだいどころで/そんなふうに くらしている」という内容についてはどうでしょうか。なぜ、いきなり地球規模の視点で台所を捉えようとするのだろうか、と戸惑いを覚える人が多いのではないかと考えられます。けれども、ここでなぜ「ちきゅう」が登場するのかということは、第一連をよく読むと、容易に理解できます。
 第一連には、鍋のふたを「そっと」取り、やがて「だいじにだいじに」閉めるという記述があります。ふたを「そっと」取るという時点で既に、煮込んでいる具材や、料理を食べさせたい相手への愛情が感じられます。ふたを取った後、湯気によって眼鏡が曇り、「あたりがぼんやり やわらかに」見えるという描写がありますが、これは、鍋のふたを開けることで、美味しそうで温かそうな食べ物ににっこりし、優しい気持ちになれるということを暗喩的に表していることが指摘できます。そうして、優しい気持ちになった人物は、そのふたを、今度は「だいじにだいじに」閉めるのです。「だいじにだいじに」というのは、「そっと」という表現よりも、より優しさを強調している表現だと言えるでしょう。
 この“優しい気持ち”というのが、一つの鍵となって、第二連に掛かってくるのです。第二連には、「ちきゅうのうえの/ちいさなだいどころで/そんなふうに くらしている」とありますが、ここで地球という規模の大きな語が登場するのは、鍋のふたを取るという小さな動作について、実はそれが地球規模で語るに値する行為であると、語り手が考えているからではないでしょうか。なぜ、鍋のふたを取るという行為が、地球全体と関係するのか? ——それは、鍋のふたを取って閉める際の“優しい気持ち”が、地球の平和を支えていると、語り手は考えているからです。その考えによると、この詩が描き出している、一軒の家で生じた“優しい気持ち”は、無数に寄り集まり、その総体によって地球の平和を生むということなのです。つまり、各家庭の“優しい気持ち”の総和が、地球の平和なのです。
 そのことを念頭に置いて、もう一度作品を見てみましょう。

 だいじにだいじに ふたをする
 ことことことことと
 ときがすぎる

 先程、鍋のふたを取った後には、取る前に比べて、鍋を扱う人の“優しい気持ち”が増強されていると指摘しました。つまり、鍋のふたを取って食べ物の匂いを嗅いだ後、人は前より優しくなっているのです。言い換えれば、鍋のふたを開けることによって、地球上に“優しい気持ち”をより深く抱く人が一人増えているわけです。だから、「ことことことことと/ときがすぎる」とありますが、ここで過ぎていく「とき」は、ただ具材が煮えていくためだけの時間ではないと思います。ここでは、地球上に“優しい気持ち”を深く抱く人間が一人増えるという、その現象が起きた後の地球に流れる時間を描いているのです。
 以上より、鍋のふたを開けるという行為によって、地球の平和は支えられている、というのがこの詩のテーマであると、私は思います。このテーマ自体に、私は賛同しません。なぜなら、平和とは、実際には力の均衡によって生まれるものであり、人々の“優しい気持ち”によって成り立っているものではないと思うからです。しかし、鍋のふたを取るという小さな、そして身近な動作が、地球の平和という大きなものを支えているというその発想は面白いと感じました。だから、この作品は紛れもなく詩であると考えます。

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