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一緒に居たい人 つづき

私の実家は、家族の形はあるけれどもうだいぶ前から家庭としての機能が崩れていた。

でも、外からはそうは見えていなかったのかもしれない。どうだったのかな。。

家族の中に、飛び抜けて悪をまとった人がいたわけじゃない。
1人1人、それぞれとても頑張って生きていて、家族間で思い合っていたとも思うし、形としてはごく一般的な家族だったと思う。

短大を出て、就職と同時にひとり暮らしを始めたので、そこからの実家の様子は実際のところ事細かには分からない。

隣町で近かったから、仕事の休みの日は兄の話し相手をしにいったり、病院の受診日に車に乗せていく事は私がしていた。
母が私のアパートに訪ねてくる事もよくあった。

「あ〜、ここは別荘みたい!…別荘は言い過ぎたかな。お母さんの隠れ家かな!」
って笑って、お茶を飲んでおしゃべりして、

「よし、また頑張ってこよう!」
と言って母は夕飯を作りに家に戻って行った。
息抜きの場所があって幸せだ と母は再々言っていた。



私は3人兄妹の末っ子で、1番上は姉がいる。

7歳上の兄は、幼い頃の私から見て、好奇心旺盛でとても才能に溢れていた。
特に絵を描くのが上手だった。

兄が小学生の頃、近所に住んでいた高校の美術教師のおじちゃんに
「将来、絵を描く道に進めばいいよ。向いてると思うよ」
と言われていたのを、私も聞いたことがある。

同じ頃、プロレス人気が全盛期だったが為に、まだ幼児の私を練習台にして散々技をかけてくるような子だったけど、(泣くほど痛い目に遭ってたよ。。ほんと迷惑だったなぁ…)好きなものに真っ直ぐな純粋な子だった。
今、当時の写真を見ても、小柄で笑い顔がとても可愛い子だ。
それは周囲から見ても同じだったようで、友人や周りの人にからかわれたりしながらも好かれていた。

使いパシリもさせられたし、よくおちょくられて喧嘩もしてたけど、私は、兄の感性が面白くて好きだった。

でも1人、父からは虐げられていた。
父が兄を怒る時に言う「お前の為」は嘘だと、私は物心ついた頃にはわかっていた。
でも、兄はその言葉を信じ続けたし、今も父を信じている。

父は常に兄に立ちはだかって、成長の芽を押さえつけ、摘み続けていた。
今なら完全アウトの体罰も、家庭の中にあった。
私は末っ子だったから、家族みんなの頭と体が忙しくしている中、1人だけノーマークで居られたことで、家の中がはっきりとよく見えた。
父にはとても大きな穴があった。

父の影響で兄は精神が壊れ、入退院や多量の処方薬の結果、一時はもう喋ることも排泄も自力でできないほどだった。
10代の学生の時に、兄は統合失調症と診断された。(当時は 精神分裂病 と言われていたのでその言葉の見た目のインパクトが、追い討ちをかけて当時の私には恐怖だった)

よく分からない間に、私の家は天地がひっくり返っていた。

仕事熱心な父に、まめで器用でいつも朗らかな母、しっかり者な姉と、マイペースでお人好しで感性が豊かな兄。
父の一言で場が凍りつくことはしょっちゅうあっても、それでも家の中はオレンジ色な光に包まれているように見えていたのに、それはずっと続くものじゃなかった。

兄から直接酷いことを言われたり、家の中がズタズタになっていったけど、母と姉が、"兄の病気"と対峙するために民間療法や宗教にハマっていく中で、

"どうして核心に触れないのか?"

という疑問をわたしはずっと持っていた。

"兄は悪くない。父が兄の心を痛めつけていたでしょう?なんでそれを無かったことにするのか。"

当時は理解不能だったが、義母との同居を経て今ならかなり確信をもった仮説として思う。

父は、自分とは正反対な資質を持った兄の事を

"自分を脅かす存在"

と感じて、兄の存在を許容し認めることができなかったのだろうと。

きっと自覚は無かったのだろう。
どうかな、、無かったと信じたい。
どちらにしても、お勉強ができたって仕事ができたって、人の尊厳を踏みにじるような事をした。
その部分は "人として馬鹿野郎だった" と思う。


必ずしも "親は子どもを愛する"  というわけではない。
例外はある。
時間をかけても、愛せない、受け入れることができないケースはある。
私の家族もそのケースだったのだと思う。


父は中学生の時に父親を亡くして、3人の妹弟の面倒を見てきた。1番下の弟はまだ幼稚園児だった。
自分を、妹弟を守るために必死に勉強をして仕事をしてきた。
とても責任感が強く、真面目だ。
今は妹も弟も、みんな孫がいてそれぞれ暮らしている。

私が子どもの頃、父は好んで自分の苦労話や当時の思いを満足げに私に話した。
小さな父の頑張りや悲しさに共感して、私は毎回泣きながら聞いていた。

"父は優しくて苦労人で、凄い人だ。自慢の父だ。"

私は家族として、自分は兄のことも父のことも好きなのだと思っていた。
思い込んでいた。

父は苦労をし努力をした分、外からはある程度認められていたようだが、人を尊重するという感覚が圧倒的に育っていなかったのだろう。
"子ども時代の不安"は人間の核の部分を大きく傷つけるのだというような話はよく耳にするが、
それは事実だ と、これも優柔不断な私にしては珍しく確信を持っている。


…タイトルにつけた言葉に着地をしたいのですが、まだまとまりません。
もし、この文章を夫が見たら、
「結論を先にもってこないの?長いね」
と不思議そうな顔して言われそうです。
(…内容的に間違いなく見せられませんが。)

私の主観100%の文章なので、配慮もできていないと思います。
見ていただいた時に、不快な部分があったらすみません。
ここまで読んでくださってありがとうございます。

またつづきのつづきを ポチポチとしようと思います。

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