【小説】彼女と海を見に行く話

 海へ向かう道には僕たちしかいなかった。
 青々とした夏空に、白いワンピースがよく映えた。
「その歌、何」
 僕が聞くと、彼女はきょとんとした顔で振り返る。
「昔の、CMの歌だって」
 それだけ答えて、また歌いはじめる。少し間の抜けた明るい曲。合間に荒い息が混じるのを聞きながら、僕は気づかないような振りをして、細い脚がゆっくりと前に進むのを追う。
 針葉樹の群れを右手に、熱されたアスファルトを歩き少し勾配のあるカーブを抜けて、彼女が立ち止まる。
「海だ」
 幼い、子供のような声。
 ガードレールの向こうで青が迫るように質量を増す。雲一つない空。凪いだ海。
「ねえ、海だ」
 翻る白。
 アスファルトにひとつ、滴が落ちる。
 彼女が笑った。
「帰ろっか」
 彼女は明るくそう言って、僕の横を通り過ぎる。ぶつかった指先はひどく冷たい。
 長い髪を潮風にあずけて、彼女が歌っている。
 いつか来るひとりきりの夏、その歌の名前も知らないまま、僕は。

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