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おすすめの仏教書:藤木てるみ『妙好人 源左さん』(探究社)

 コロナでオンラインになる前から、勉強会で藤木てるみ『妙好人 源左さん』上下、探究社をおすすめしてきました。残念なことに休刊してしまいましたが、一般向けの仏教雑誌『大法輪』に連載されていたマンガで、私は定期購読はしていませんでしたが、関心ある特集の時は購入していたので、断片的にですが、連載時に目にしていました。

 浄土真宗には、数はすくないですが、阿弥陀仏の救いが「わかった!」という人がいて、妙好人と尊ばれ、他の人もどうやってわかったのか、わかった境地がどういうものなのか知りたいので、訪ねて、聞書が残されました。その多くは、文字も読めない庶民でした。
 因幡の源左(1842~1930)はその一人で、日本民芸運動の創始者、柳宗悦(1889~1961)が注目し、土地の人が語る源左の思い出を集めて、『妙好人 因幡の源左』百華苑として出版しています。

 マンガ『妙好人 源左さん』はその本を主なソースとしていますが、私がマンガの方をおすすめするのは、作者が信心ある方だということと(最近、知ったのですが、あのトキワ荘の出身だそうです)、マンガでは沢山の人の語るエピソードから、源左という一人の人物像を作り上げる必要があり、結果として、仏教に実践的な関心のあるすべての人のたどる道ーーわからない・わかった!・わかることよる変容・その人を通じた他への影響、を描き出すことに成功しているからです。

わからない

 源左は働きものでしたが、若い時に父親に死なれ、父は「オラが死んだら親さま(北陸や山陰で阿弥陀仏のこと)たのめ」と言い残して亡くなってしまいます。
 「親さまたのめ」と言っても、親さま(阿弥陀仏)に会ったことがあるわけでもないし、どうやって頼むかもわからないし、源左は途方に暮れてしまいました。
 気になって気になって仕方なく、何度お寺に行って教えを聞いてもわからず、まだ鉄道のない時代に決死の覚悟で京都の本山にも上りましたが、依然としてわからないままでした。

わかった!

 大きな転機が訪れたのは、農作業中でした。草を刈って牛に負わせて帰る途中、全部背負わせるのはかわいそうだと自分も一把担ったのですが、途中、つらくてつらくてたまらなくなり、その草を牛に背負わせたところ、すっかり楽になり、「他力はこれだ!」とわかったそうです。

 他力がわからないのは、それが「不可思議光」、概念的に理解できるものではない(「不可思議」「不思議」の語源は、文字通り「思議することができない」という仏教用語です)からです。
 多くの人は、自分がいて、自分が捉えたとおりの対象・世界があると疑っていませんが、仏教はそれこそが自分を閉じ込めている檻で、そこから抜け出さない限り、苦しみから解放されることはない、と説きます。
 わからない、という不安は、実は、なにかのきっかけでその檻がやぶれそうになり、わかろうとすることは、不可思議を思議できるものに置き換えよう、やぶれかかっている檻の穴をふさごうという試みなのです。

 「わかった!」というのは、そうやってわかろうとしてきたものがわかった、思議することができるようになったということではなく、それが思議不可能なものであることを受け入れた、それに納得がいった、ということです。
 後年、源左は「オラより悪い者はないと知らしてもらうだけだいなあ。助ける助けんはオラの仕事じゃないだけーー」と語っています。

 妙好人に名もない庶民が多いのは、僧侶や知識人など、なまじ知識があると、知識を増やしていくといずれわかるようになる、という自分のアプローチの間違いになかなか気づくことができず、下手をすると自分がわかっていない、ということにすら気づかなかったりするからです。

わかることによる変容

 そうやって「わかった!」あと、わからないと煩悶する前に戻ってしまうのではなく、「現実」という牢獄の破れた隙間から智慧の光が差し込み、その人に大きな変容がおこります。
 家の柿を盗もうとする子供が怪我しないよう、庭の柿の木に梯子をかけておいた、自分が作っておいた籠を盗もうとする人がいて、背負うのを思わず手伝ってしまい、盗人が振り返ったら源左がいた、土地にはさまざまなエピソードが残されています。

 慈悲は仏教徒の義務ではありません。他への慈悲を妨げているのは、「私」という思いで、それがなくなれば、自分が困った時と同じように、他の人が困っているのを助けることができます。

 土地では、源左は仲裁の名人として知られていたそうです。争いは、両者の「現実」が異なることから起こります。そのような物の見方から解放された人は、どちらの人も納得いくような答えを見出すことができます。

 はじめてインド全土を統一したマウルヤ朝のアショカ王が仏教を保護し、聖徳太子が「憲法十七条」を記したのも、仏教のそのような性格に気づいていたからでした。

そのことを通じた他への影響

 智慧の光は、その人を変えるだけでなく、その人に触れた人たちにも影響を与えていきます。仏の智慧は、そのような形で働き、広まります。

 これは、浄土真宗に限ったことではなく、仏教に実践的な関心をもつすべての人がたどる道です。

 臨済宗円覚寺派の管長だった朝比奈宗源師は、若いころ、浄土真宗高田派の村田静照師(幕末から明治にかけての博多の高僧である七里恒順師に教えを受けた。鈴木大拙『日本的霊性』にも語られている)と親交を結び、臨済宗の見性も他力の信も同じものだと感じられたそうです(『覚悟はよいか』PHP研究所)。

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先日の藤田一照師との対談

 語り口はそれぞれ違うので、気づかれた方もいらっしゃったかもしれませんし、気づかれなかった方もいらっしゃるでしょうが、
 先日のオンライン対談で藤田一照師が話されていたのも同じこと、(将来、マンガ化されるかどうかはわかりませんが、『妙好人 源左さん』と同じ)『禅僧 一照さん』でした。
 対談のなかで直接、源左さんに言及したわけではありませんが、仏教は源左さんと同じような学び方、わかり方をするもので、自分もそのような学び方、分かり方をしてきた、というのが、対談のテーマでした。

(『妙好人 源左さん』は大手のオンライン書店では品切れや、とんでもないプレミア価格になっていたりすることがありますが、出版元には在庫があります。直接出版元のサイトから(送料は別にかかってしまいますが)定価で購入することが可能です)


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