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『周易』4

さて、『周易』を読む企画もまた気付けば、半月以上経ってしまいましたが、
今回は、「乾」卦が終わり、「坤」卦の解説に移っていきたいと思います。
それでは読んでいきましょう。


「䷁坤下坤上」

「おおいに通亨する。牝馬(メス馬)のただしきに利がある。
君子がゆくところあれば先んじてゆけば迷い、おくれてゆけばうまくゆく。
物を利する(生成する)ことを主とするのである。」

⚪︎これについて、北宋の儒学者程伊川(てい いせん)は次のように注釈します。(※以下「程伝」と表記)「陰に従うのは陽である。…… 後ろにいればそこでこそ常道を保持することができる。……生成はすべて「地」の功績である。臣下の道も同じである。……
仕事に骨折りするのは臣下の職分である。」
(陰從陽者也。……居後乃得其常。……生成皆地之功也。臣道亦然。……勞於事者臣之職也。)

「西南なので朋を得る。東北は朋をうしなう。」


これに王弼(おう ひつ)という学者は以下のように注釈します。(以下、王弼註と表記)「(西南は)物を生かし養う地であり、坤と同じ性質である」云々
(致養之地與坤同道者也)
程伝にも「西南は陰の方角」とあります。(西南陰方…)
同じく程伝には「東北は陽の方角」とあります。(東北陰方…)
あとで詳しく述べますが、同類のものに就くのだから「朋」を得て、
異種のもののもとへ行くので、「朋」をうしなうという意と解せます。

「安く貞しくあれば吉である。」

「彖にいう、至れるかな!坤は、万物はこれに資(たす)けられて生じるのだ。
天に「順承」して、坤は厚く万物を載せ、徳は天のかぎりない徳に合わさる。
含むことは広く、てることはおおいであり、品物(ひんぶつ)はみなとおる。」


「含むことは広く、てることはおおいであり」
は含(ふくむ)弘(ひろい)光(てりかがやく)大(おおきい)で「含弘光大」と書きます。しかしこれに「程伝」では、
「含」を「包容である(包容也)」「弘」を「寛裕である(寛裕也)」
「光」を「あきらかである(昭明也)」「大」を「博く手厚い(博厚也)」というように、ある種の徳目のように説明、
「「含弘光大」の四つの徳目によって坤のありようを形容するのである。
「乾」卦の「剛健中正純粋」とおなじである。この四徳があるので、
天のしごとを素直に受け止め、よろずのものはうまく動くことができるのである。」(以含弘光大四者、形容坤道、猶乾之剛健中正純粋也、……有此四者故能成
承(一作順)天之功、品物得亨遂。……)と述べます。

参考:「朱熹はこの「剛」「健」「中」「正」の「…四者は乾の徳である…」とします。(「…四者乾之德也…」『原本周易本義』-宋-朱熹 より)」


「牝馬は地のともがらであり、地をゆくこと限りない。柔順利貞は君子のおこなうところである。先んじては迷うというのは、道を失い、遅れるときは順いそして、
常を得るのである。西南には朋を得るというのはともがらと行うのである。
東北には朋をうしなうが、さいごにはよろこびがある。」

どうして「東北に朋をうしな」ったのに、喜びがあるのでしょう?
「程伝」は以下のように解釈します。
「そのともがらを離れて陽にしたがうので、ものを生む功を成し、
ついにはよろこびがあるのである。」(離其類從陽成生物、終有吉慶也……)

「陰の方角である西南をはなれ陽の方角である東北にいくことでけっきょくは
陽に従い物を生み」「さいごにはよろこびがある。」と読んで良いかと思います。
単純な二元論ではなく、二つがあることで物を生み出す。
古代人の自然観察にもとずくのでしょうか?

「柔順安貞のよろしきことは、地の性質のかぎりなさにあう、そぐうものである。」

坤の彖はここまで、次回は「坤」の「大象」から読んでいければと思います。
(文責:康寧堂主人)

(原文)

(c) Kanseki Repository. 作成されたコンテンツは CC BY SA のライセンスで提供する。(※原文を日本語訳)

(以下参考)

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