逝ってしまった娘からのメッセージ その2

入院してからはLINEでやりとりしていた妻を見舞いに行った

実は大晦日のこんな時間に連続ポストしている理由はこの後の内容にある。
読む方によっては「あぁ、この人は悲しみのあまり頭がおかしくなってしまったんだなぁ」って思われるかも知れない、という出来事なんだけど、どうしても年内にポストしなければならないような気がしている。結果的にちょっと年を越してしまいそうだけど。

前回はcovid-19(口に出すも嫌なあのクソな病気だ)の影響で面会が出来なかったのだけど、今回は多少規制が緩んで部屋に行けた。もちろん様子を見たかったのだけど、反面では怖かった。弱っていく過程を目にする事になるんじゃないかって。

果たして病院での妻は、家に居る頃より少し元気が出たように見えた。環境が変わったことによって、または具体的な治療を進める事によって気分が変えられたのだろうか。いずれにせよ良いことだと思った。

未だ病室のあるフロアから自由に院内に出ることは出来ないのだけど、毎日フロアを歩いて散歩しているのだという。面会の最後の時間で、それに付き合う事にした。

妻の告白

「思ったより元気そうで良かった」とおそらく僕が言ったことに対して、『実は退院するまで黙ってようと思っていたんだけど』と妻が話し始めた。
ちょっとキレイにまとめる能力が僕には無いかも知れないけど書いていく。

妻曰く、『病院で不思議な出会いが有った』と。その相手は高芝さん(仮名)と言う女性で、妻が散歩中にロックされたエレベーターフロアの自動ドアの外で困っている彼女を見つけ、看護師さんを呼んであげたのが初めての出会いだと言う。
それまで高芝さんも妻もあまり他の患者さんと交流を持たなかったのだが、それ以来、散歩中とかに会って話をするようになったらしい。

彼女は近畿地方在住なのだけれども、重篤な病気で地元では治療できず東京の病院を紹介されて来たという。詳細までは聞いてないのだけど、入院してから一週間も経たないうちの出来事だったと思う。ある日、彼女が妻に言ったそうだ。

『怒らせちゃうかも知れないから言わなかったのだけど、娘さんがずっと側に居て見守ってるよ』って。

その時点で妻が彼女にどこまで身の上話をしていたのか、僕はその時点では詳しく聞かなかった。聞けなかったのかも知れない。更に話は続く。

驚く妻に彼女は『娘さんは自分の事を◯◯って呼んでた?』と聞く。『黒髪で長さはこれくらい。すごく眼がキリッとして居るお嬢さんね。』まさにその通り。因みに長女の眼は僕に似ていた。妻は和顔なのだ。『すごく魂に力が有るね。伝えたいという思いが凄い』そして更に長女からのメッセージを伝えてくれる。

『ママはそういう能力や感覚が無いから、この人(高芝さん)にお願いして伝えて貰った』それは正に妻が僕に話していた苦悩そのものだ。

そして妻が知りたがっていた自死の事は
『◯◯(長女)は最後まで、ちゃんと◯◯だったんだよ』って。

妻の病気に関しては
『三次元では出来なかったけど、今はずっと見守っているよ』と。

そして○○ちゃん、今はすごく穏やかな顔をしているよ、って。

あぁ、それは実に、妻が一番聞きたかったであろう事で、僕が伝え聞いても長女の言葉としか思えないほどの内容だったんだ。

そしてその日の最後、『◯◯ちゃん花を差し出してるよ。紫色のトルコ桔梗みたい。何か覚えが有る?』と聞かれたそうだ。ただそれについては妻は覚えが無い。思い出も無いし、仏壇や墓に供えた事も無い。なんだろうね?で別れたらしいのだが、夕方に次女から入ったLINEの写真で驚く事になる。

学校から帰宅中に仏壇の花を換えよう、と思い立った次女が花屋さんに寄り、選んだ花束。最後の最後に『やっぱり色合いが少し足りないなぁ』と、ちょっと高いけどキレイだから、と選んで足した花こそ、まさに紫色のトルコ桔梗だったのだ。

ハッキリ言って疑い深い僕だ。
妻の話に驚くとともに、色々な事を考えた。

コールドリーディング、偶然の一致、疑えば幾らでも疑える点は有るかもしれない。そうかも知れない。ただ、僕の見たイメージも受け入れられず、悲しみの淵に沈んでいた妻。古くからの友人にさえ『自分で消化できるまでは』と長女の話をしようとしなかった妻。そんな彼女が病院で偶然に出会った誰かの話を聞いて、更に受け入れて、救われている。その事実だけでも、僕には十分すぎる奇跡に思えたんだ。

この話には後日談も有る。ただ、あんまり書きすぎると余計にインチキ臭くなっちゃう気がするので、またのポストにさせていただく。

しかし正直言って、あまりに想像を超えた出来事に、僕ですら「この話ぜんぶが妻の想像上の出来事なんじゃないのか?」と思ったり、壺を勧められたり、なんか神様を信じるように勧誘されたりしてないよね?と後で確認してしまったりしたのも事実。でも僕はお会いしてないのだけども、その後も交流は続いてて、変な勧誘が無いのはもちろん、地元では有名な商売をされている方らしく、今日も「めちゃくちゃ美味しいから」と言う理由で送っていただいたミカンが一箱届いたりしている。

色々な意見があるだろう。承知している。でも本当だという証明が出来ないのと同じくらい、嘘だという証明もまた出来ないだろう。だから本当だと、魂の世界は本当に有って、逝ってしまった長女はその世界で安らぎを得ていて、僕らを見守ってくれている。そう信じても良いんじゃないかって、思っている。この出来事が、僕が魂の存在を信じる理由その3なんだ。

ただ、やっぱり現実には長女が居ない事は厳然たる事実で、深い悲しみや寂しさが有ることは変わらないんだけど。

だから僕は希死念慮の有る方には『居なくならないで欲しい』と相変わらずお願いする。

だけど、愛する人を失ってしまった貴方には『救いは無い訳じゃないかも知れない』って伝えたいと思うんだ。相変わらず深い穴の底に居るのかも知れないけど、そう思うよ。

結局、年を跨いでしまったけど、このポストだけはしておきたかった。なんとなく長女がそうしなよ、って言ってる気がしてたから。


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