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現実逃避のひとり旅

月に1回ほど、住んでいる場所から思い切り離れたくなる。
目の前のやるべきことを全て放棄し、「逃げても良い」と自分を安心させるためだ。
まさに現実逃避である。

これまでは、人気のない山の中へ車を走らせたり、誰も来なさそうな海辺に足を運んでいた。
そこで思う存分昼寝をし、ひたすらボ〜っとするのだ。
誰も来ない・・・というのがポイント。

阻みや、抑止が無い空間だ。

思い切り泣くことも出来れば、怒りに任せて枝や石ころを蹴り飛ばすことも出来る。
もっと物騒な話をすると、その場で死ぬことも出来る。
喜怒哀楽、生老病死全てと向き合うことが出来るあの感覚は、普段は味わえない。

都会へ引っ越して以降、なかなか車を引っ張り出して山へ海へ…はしづらくなった。
そこで思いついたのが、大回り乗車。
各地に張り巡らされた鉄道網を使い、街から田舎へ。
田舎の駅でゆっくりした後、違うルートで折り返し。
これこそ、ストレス社会に抗い、生きていくための逃げ方だ・・・!
と閃いた。

大阪を発つ快速電車。

スタートは大阪駅で、
大阪→奈良→木津→北新地
のルートで向かう。
乗り鉄に近しいかも知れないが、鉄道の車窓は、幼い頃から好きだった。
ビルばかりだなぁ・・・と眺めていると、次第に緑の多い田舎へ。
この移り変わりは、いつまでも見ていられる。

レールを走る音も好きだ。
車内までこだわるとすれば、国鉄型の方が落ち着く。
現代風の車両は、ピカピカし過ぎている。

大阪から走り始めて30分も行かないほど。

右手には、大きな川が見えてきた。
そして左手。
街の隙間から、山が顔を出し始める。

これから景色が移り変わってゆくことへの期待と、自然に守られている安心感に包まれる。

王寺駅。

補強はしているものの古めかしさが残るホームや、引き上げ線に雑草が生えている様子は、何だか温かみがある。

遥か昔、蒸気機関車が発着していた風景や、その時の乗客や駅員の声色、服装までが、頭の中にイメージされる。

大阪から乗車した快速電車に別れを告げる。

木津駅。
目的地へ到着した。
大阪駅では、車掌さんや乗客もキビキビとしていたが、ここまで来るとのほほんとした空気さえ漂う。
ブレーキを緩める音が静かに響き、列車は終点を目指していった。

この閑散とし、風通しのある風景を味わいたかった。
ちょうど良い音量で、人の生活音や鳥の鳴き声が聞こえてくる。

いくら自然が好きで、小屋に籠っていたいと常に思っても、やはり人の声や雑踏は時折聞きたくなるもの。
きっとこれは、生きづらいながらも社会とは繋がっていたいという欲求の現れなのだろう。

区間快速 塚口行きで大阪・北新地を目指す。

木津始発の快速電車に乗り、大阪方面へ帰る。
大回り乗車のルール上、行き帰りのルートは異なる。
景色も違って、余すことなく楽しめる。

往路とは違い、自然に溢れている田舎を過ぎ、徐々に建物が増えてゆく。
そして、ガラクタだらけの街中へ入っていく。
ここに、一種の儚さを感じる。
「もっと緑を見ていたい。建物など、そんなに必要ない。」
抗えず、大好きな緑たちと別れ、無機質なものへ囲まれる。
ちょっとした絶望を味わう。

しかし、この体験があることで、普段の無機質世界について考えることが出来るし、緑や田舎の尊さを再認識できると思う。

現実逃避は、私にとって、人生の点検となる。
生死の淵に立ちながら、希望や絶望が入り乱れた世界で、生きている尊さを教えてくれる。

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