白髪の少年
「そう、例えば、例えばの話として聞いてくれればいい」
白髪の少年は雪が降りしきる中で僕に話しかけてきた。
「君がここにいる理由なんてのは、ほんの些細なことで、例えば君がここにいなかった場合にもその疑問を持つかと言われれば、そうではないだろう? 君はここにいるからここにいることを疑問に持つし、雪が降っているから、そのことに疑問を持つ。違うかい?」
「違わない」と僕は言った。
「そう。分かればいいんだ。君がここにいることに理由なんてない。ただの偶然だよ。そのことを分かった上で理由を付けたいならそうすればいい。それは君たちの得意分野だろ?」
僕は黙って聞いた。
「何かと理由を知りたがり付けたがるのは、1種の本能みたいなものだ。安心したいのさ。これこれこういう理由があって、だからこうなるってね。見かけ倒しでも整合性が取れていればそれで満足しちゃうのが君たちの悪いところだ」
「そうかもしれない」と僕は言った。
「ところで、君はどうしてここに来たんだい?」
白髪の少年はさっきまでそこになかったベンチに腰を下ろした。
「どうしてここに来たのか?」
「うん」
「だって君はさっき理由なんてないって言ってなかったか?」
「確かに言ったね」白髪の少年は目だけをこちらに向けて言った。「でもそれはここにいる理由の話であって、ここに来たことに関しての話じゃない」
「なるほど」と僕は頷いた。
「どうしてここに来たんだい?」
白髪の少年は再び僕に訊ねた。
僕はそこで黙ってしまった。別に答えたくなかったわけでも、考えがまとまらないわけでもなかった。ただ思い出せなかった。なぜ自分がここに来たのかを。
「分かっているさ。君はこの問いには答えられないんだろう」
僕は黙って頷いた。
「分かっていて質問をしているんだ。ここに来る人は、決まってここに来るまでに至った経緯を忘れている。何故だろうね。それも防衛本能というやつかな」
「さあ」
「まあ、とにかくここに座るといい」
白髪の少年は自分の脇のベンチの上の雪を軽くはらった。
「ありがとう」
僕はお礼を言ってそこに座った。僕が座ると、すぐ目の前に線路が現れた。さっきまでそこにはなかったはずだが、さも当然かのようにそこには線路があった。
「君はどうしてここに?」
今度は僕から聞いた。
白髪の少年は少し笑って足を前に伸ばした。
「簡単なことさ。ここに来る君のような人間の話相手をするんだよ。それが僕の役目」
「僕のような人間? 他にもここに来るのか?」
「ああ来るさ。君は自分を特別な人間だとでも思っていたのかい? ここには色んな人間が来るのさ。君はその中の1人に過ぎない」
「そうか」と僕は言った。「僕の前にはどんな奴が来たんだ?」
「あー、最近何かの病が流行っていただろ? それにかかっている人間だった。確かその前もそうだったな」
「なるほど」
「でも見たところ君はその病にはかかっていないね」
「うん。僕は至って健康だ」
「それはなによりだ。病気にかかっているよりは健康な方がいくぶんかマシだからね」
「そうだな」
白髪の少年は空を見上げ、ぐーっと背伸びをした。
白髪の少年の横顔を見ていた僕は、その光景にどこか神秘的な感情を抱いた。なぜかは分からないけどそれは、その感情は、すごく大事なもののような気がした。
「よし、そろそろ時間だね」
白髪の少年がそう言うと、どこからか踏み切りの音が聞こえてきた。
白髪の少年が僕の反対側に視線をやると、こちらに向かって列車が走ってくるのが確認できた。
「君は今からあれに乗ることになる。別に乗らないこともできるけど、それはあまりおすすめしないな。だってあれを逃したら次の列車は来ないんだからね」
どうやら僕はあの列車に乗る運命にあるようだ。使命感とかそういうんじゃないけど、とにかく乗らなきゃいけないことは理解した。
そして列車は僕の目の前に止まった。線路と車輪の摩擦音が鳴り止むと、ドアが開いた。
「これで君とはお別れになるな。出来れば二度と会いたくないものだ。これは別に意地悪で言っているわけじゃないんだ。ただ本当にそう思っている。出来れば会わないことが僕にとっても君にとっても一番良いことなんだよ」
僕は白髪の少年の言葉の意味はあまり理解できなかったけど、とりあえず「分かった」と言って列車に乗り込もうとした。
だが白髪の少年は僕を呼び止めた。
「乗る前に。これを履いていくといい。その格好じゃあ、なんていうか貧乏くさい」
白髪の少年は僕の足元を見て笑って言った。
僕も自分の足元を見た。僕は靴を履いていなかった。靴を履かずに赤い靴下のまま地べたを歩いていたわけだ。
「確かに」と僕も笑って、白髪の少年が差し出した靴を受け取って、その場で履いた。
「良く似合ってる」
白髪の少年が僕を見て言った。
「ありがとう」
僕もお礼を言った。
そして僕は、列車のドアをくぐった。
「楽しかったよ。君はおそらくもう大丈夫だ。1人で歩けるし、靴もちゃんと履いた」
「そうだな」
「元々ここへは何も持ってきていないから、忘れ物の心配もない」
「うん」
「座って、ゆっくりと列車に揺られるといい」
「そうするよ」
そこで列車のドアがしまった。
そして列車はゆっくりと前に進み始めた。
ドアの先では白髪の少年が手を挙げている。白髪の少年なりの見送りなのかもしれない。
ほどなくして白髪の少年の姿は点となり、やがて見えなくなった。
僕はシートに腰掛け、ゆっくりと目を閉じた。
意識が段々と曖昧になり、自分の体が上手く動かせなくなった。体が縮んでいくようにも思えた。だが自然と嫌な気はしない。温かく包まれるように僕は眠った。いつか目覚めるときが来たら、どこでなにをしようか、それは僕にも、誰にも分からないことなんだ。
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