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小室哲哉さんってやっぱり凄い人ですね。

先日、NHKのBSで小室哲哉さんのインタビューを放送してたので何となく観てたらこれが素晴らしい内容で、夢中になって最後まで観ちゃいました。

幼少期から現在までシンセサイザーという楽器といかに向き合い、また作曲をしてきたのか?という内容でした。

僕は正直言って今まで小室哲哉さんの音楽を熱心に聴いた事はありませんでしたし、好みのタイプの音楽家でもありませんが、大ヒットしたモノが多いので聴いた事のある知っている曲は人並みにあります。

小室哲哉さんはご自身が影響を受けた音楽家として冨田勲さんのお名前を挙げています。

冨田勲さんは言わずと知れた作曲家・シンセサイザー奏者の草分けです。その冨田勲さんに憧れてシンセサイザーを始められたそうです。

失礼ながら小室哲哉さんの世代で少年時代に音楽をやりたくてシンセサイザーを選ぶというのはかなり先進的な考え方であったと思います。先見の明があったと言いますか…。

因みに小室哲哉さんは独学で音楽やピアノ(と言うか鍵盤の弾き方)を学んだそうです。

しかし今の我々が知っている小室哲哉さんの作風からは、冨田勲さんというのはちょっと意外な人選だと思いませんか?

僕はもっとディスコ世代の…ドナ・サマーとかアースとかPファンクとかかなと想像していました…。

この番組での小室哲哉さんを観ていて一番感心させられたのは、この方は…何と言うか、世の中の空気感…世相と言うか、社会の空気感と言うか…そう言ったものをとても上手に捉えていらっしゃるのだなって事です。

それに作品がどの様に人々に受け入れられるか?またどうすればより受け入れられるのか?という疑問を常に抱いている点です。

音楽に限らず芸術家…クリエイター…作者、呼び方は何でも良いのですけど、何かを創造している人って2つのタイプに別れると思うんです。

一つは、自己理想追求型。
このタイプは承認欲求が皆無で、世間に受けようが受けなかろうが全く構わない。とにかく自分の理想を追い求めている人。たまたまそれが世間のトレンドと一致して売れたとしても、売れ続ける事が目的にならない人。

もう一つは、承認欲求型。
自己理想と承認欲求とは必ずしも相反するとは限りません。自己理想の作品が世間の売れ線と一致する幸福な場合もあります。
しかし大半は承認欲求の為に自己理想は多少犠牲になります。

小室哲哉さんはどちらでしょう?
僕は番組を観る前は承認欲求:8の自己理想:2って感じなのかな?という印象を持っていました。

でも、小室哲哉さんにとって作品が売れる事はとても大切で(ってそんなの誰にとっても当たり前なんですけど、取り分けって事です。)その為に編曲や歌詞を考える事は妥協ではなく、寧ろ改良と言うかアップグレードと言うか…そんな意味合いを持つのでは?と思います。

あとですね、浅倉大介さんもご出演なさっていて…すみません、僕は正直お名前くらいしか存じ上げないのですが、こんな発言をされていました。

「シンセサイザーはファッションの様に時代時代の流行のリズムや音色があるから楽しい」

大体こんな趣旨でした。
多分芸術家気質の人ってこういう感覚って正直あまり好きじゃないですよね?流行に乗ったり迎合したりするのって。

なんかずっと売れずに貧乏でも大衆迎合する事なく自己を貫いて貧困のまま野垂れ死ぬみたいな美学ってあるじゃないですか?
正直僕にもあります。

でも小室哲哉さんはある種ゲーム感覚で、世相を、大衆心理を読み理解し、それを作品に落とし込みヒットを連発していたのかな?と思いました。

なので先程の話ですけど、小室哲哉さんは自己理想追求型でもあり、また承認欲求型でもある。しかも相反していないという稀有な才能の持ち主なのでしょう。

いや、本当に何だかんだ言っても一時代を築いた人ですから、とても偉大だと思います。


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