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やっぱりお前の言う通りだったよ(笑)〜あのときの自分へ(更新2023年3月11日9:55)

あの時、お前が言ってたこと
やっぱりその通りだったよ

ありがとう、お前よ。

あのときの自分よ。

2011年3月11日

あのとき、まさかの大地震が起きてさ
避難所で大変だったな(笑)

風呂にも入れないし、頭かゆいし、
食べ物はなにかしらは配給されてたけど、
普段食べてるものとはもちろん違うものだし
プライベートもなく、小学校の体育館に何百人もいてさ

トイレ前あたりの緑の床には、真っ黒な足跡がついてて正直「うわっ、キッタね〜。。。」

水も出なかったり、電気もこないから携帯も気軽には使えなくて

いつもやってる好きなこともできない。

新聞やラジオからは絶望的なニュースしか聞こえてこないし、、

「友達のあいつ、生きてるかな?」
「従兄弟の彼も、大丈夫かな?」
って、、、マジ日本どうなっちゃうんだろうって、不安もあったな。

住んでた家(マンション11階)も出入りはできる状態だったけど、、、全壊判定

大地震で玄関開かなくなって、外からぶち壊して助けてもらったから鍵もかからないwww

そして人がいなくなったマンションや民家への泥棒が
震災初日からいっぱいあったようで

火事場泥棒ならぬ地震場泥棒。
人間とは思えねー所業。

マンションには誰でも立ち入れる状態だったから、とにかく一番大事なものを避難所に運んだよね。

通帳・印鑑・メインギター

マンションの11階で、もちろんエレベーターなんか動かないから、階段で上り下りして

めちゃくちゃ疲れたよなwww

うちはマンションの最上階だから、すぐ上にあった給水塔がうちの隣の隣くらいの部屋?フロア?のとこにめり込んでてさwww

それ以外にも色々ぶっ壊れてて、廊下の配電盤もむき出しwww

とてもじゃないけどもう住めないなって思ったよな。

だけどお金もそんなにないから引越しもできなくて、
「うわどうしよう・・・」って、結構途方に暮れてた(まぁ、お金あっても引っ越しなんてできないような状況だったけどね)

で営業再開したネカフェがあったので、そこにちょこっと行ってたんだよね

行きつけだったすんごい安いカラオケもまさかの営業再開してて(笑)助けられた

確かその頃はまだほとんどのとこで電気が回復してなくって、ケータイの充電もできない(汗)

でもそれらのとこで充電させてもらえてさ。

それと同時に、束の間の一人の時間も確保できて。

本当にありがたかった。

とはいえ避難所に母親も一緒にいたので、ほっとけるわけもないしね。

ほんと合間を縫ってって感じだった。

お金もないので長時間なんて、もちろん居られなかったしさ。

で、ある日突然、母親が避難所生活に耐えかねて「死んでもいい、食うもんなくてもいいから、家で安心して寝たい」って駄々こねてwww

いや〜〜〜、正直参ったよな(笑)

鍵もかからない潰れかけの家で、何日か寝たよな(笑)

もちろん避難所も食事の配給も、ありがたかったよ。
本当にありがたかった。

だけどやっぱり本音は「疲れる」だよ

こんな生活やだなって、思ってた。

とは言えぼくは根っからのポジティブ人間で、適応力もそれなりにあるから
「こういう生活も、悪くはないかもな」
とも思ったり。
ちょっと語弊のある、変な表現だけど。

昼間、避難所の体育館から外に出て、青空の下で優しく少し暖かい風を感じながら

「色々大変だし、家のこと・原発のこと・この先のこととか不安もいっぱいだけど、この風は気持ちいいな」
って。

「でもやっぱり早く、元の生活に戻りたいな」
って、、、

毎日のように、思ってたよな。

10年もしたら笑い話になる

そんな状況はほんとにしんどかったけど
でも「こんなの10年もしたら絶対笑い話になるさ。
苦しいのは、今だけ。(でもその今が、本当にしんどいんだけど(笑))」って思ってた。

経験は、話のタネになるし
「あのとき辛かったな〜」って苦笑しながら言える日が、絶対に来る!!

この地震や津波で、死んでしまった人が大勢いる。

だけど俺は生きてるんだから!!
家だってちょっとぶっつぶれて、物も散乱しまくって、皿も何もかも割れまくってとかあるけど、、、

生きてるんだから未来作れる!!

だから今日も明日も、自分の未来を作るためにできることを1つ1つやる!!

スーパーもたま〜にしかやってないし、やってても50人も100人も並んでたりwww

そもそもお金もないからそんなに物も買えないけど、
避難所・配給される食事に感謝し、ありがたく頂いて、

新聞とチャリンコで毎日情報収集して、
まずは母親との生活を再建する!!

そう思って、あれこれやってた。

10年後こうなったよ!〜あのときの自分へのアンサー

※以下の文章は2022年3月11日のぼくが書いた内容です。
厳密には11年後ですねw
「これ去年書けばよかったんだけど、、、(汗)」とか言いながら書いてました(笑)↓↓↓

あれから10年経ったら、お前の思ってたことは全部その通りになったよ。
いや、さすが自分www

お前の言う通り、笑い話になったよ。

(※こういう言い方は語弊があるというか、一般的には不謹慎な表現かもしれないけど、でも自分の中ではこの表現が一番しっくりくるからこう言ます。「大震災なんかもう昔のことで、今は何のこともないただの笑い話さ」というような、震災を軽く考えたり、馬鹿にしたりという意味では、決してありません。)

2022年のぼくにとっては、大変な時期はすっかり終わった。

もう全然なんともない。

いまだに大変な思い・まだまだ解決できない問題などがあって、日常を取り戻せたとは到底言えない方々も大勢いらっしゃる。

でもお前のいる場所は、もうすっかり日常を取り戻したよ。

そうそう!今は結婚してさ、可愛い妻と7歳の息子もいるぞ!

それは予想してなかっただろう?www

めちゃくちゃ残念だけど、ミュージシャンにはなれなかった。

全然ダメ。

だけど、ブロガーになったぞwwwwww

お前の言う通り、10年後には予想通り、自分にとっての日常はすっかり取り戻せてるから、、、だから今、乗り切れ!!

ファイト!11年前の自分!!

大変な思いをしてるとは言え、お前の状況なんて、めちゃくちゃ恵まれてる状況なんだから。

不安はあるだろうけど、文句言わず乗り切れ!

あとこれは追伸なんだけど、2022年3月11日現在、外国で起こってる戦火が、下手したら日本に降りかかる可能性も0じゃないかもみたいな事態になってる。

地震は終わったけど、そのあとに未知のウィルス蔓延、からの戦争(激汗)

けっこうな状況ではあるwwwwww

もし最悪、本当にそうなったとしても、、、

持ち前の明るさ・ポジティブさ・情報収集力・行動力で、乗り切るだけさ!!

2023年のぼくから2011年のお前へ〜近況報告

はい!
ここからの話し手は、2023年3月11日のぼくへ戻りますw

そうそう、あれから12年経ったんだけど、面白いぞ!

絶対予想もしてなかった未来に到達した!w

今秋田県由利本荘市に住んでるんだ(爆)

義理の父さんが2022年9月に亡くなってさ、お前の誕生日の翌日にさ。

そうすると義理の母さんが1人になってしまうからって、秋田に移住することにしたんだ。

それで結果、ぼく・妻・息子・母・妻の母の5人で、秋田の妻の実家で暮らしてるwwwwww

11月からだから4ヶ月経つけど、不便はないし、空気はうまいし、お気に入りの齋彌(さいや)酒造さんも家から近くていいのよ。

てか何よりね、地震が全く来ない

全然揺れないの

宮城みたいにちょこっとした地震でしょっ中揺れるとか、全くないのよ。

信じらんないでしょ?

でも秋田って、そういう土地らしいんだわ。

地震の心配なんか、しなくていいのよ。
ハザードマップで調べてみても、家には津波も来ないっぽい。

だからちょっと地震で揺れるたびに気にしちゃう・反応しちゃうみたいなことがなくなって、本当に快適だぞ(^o^)/

まとめ:2011年の自分へ

ここまで読んでくれたかな?

たしかに今辛いかもだけど、大丈夫だ自分よ!

いつだってお前には、ぼくが付いている!

それって最強だろ?

自分が一番大好きで、誰よりも自分を信頼してるお前にとって、これ以上のことはない(笑)

10年後(本当は11年後w)・12年後の未来のぼくは、2011年のお前を応援してるよ!

辛いのは今だけ。

乗り切れい(^o^)/

そしてありがとう。

やっぱりお前の言う通りだったよ!!

(笑)

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