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せめて心の平衡を保つことだ

先に控えた会議の調整など瑣末事のため残業をした。

仕事を片付けて電車に乗り、イヤフォンを繋いでいつも通りSpotifyを開こうと思ったが、ふと久しぶりに断片を作ったまま放置している曲のメモを聴こうと思い、ボイスメモを立ち上げ、曲の断片メモを聴いた。

換気のため窓が空いており走行音がうるさいので音量を上げ、再生ボタンを押して目を閉じた。目を閉じて音に集中していると曲の新たな構想や、歌詞のアイディアや湧いてきて、頭のなかでそのイメージを想像しているうちに、先ほどまでの事務的な思考の状態から詩的な言葉、想像的な、詩的言語的なモードに頭が切り替わった。歌詞を考えることに没頭しているとそういった状態になるが、最近は仕事が忙しくあまり曲作ったりしていなかったのでこういった状態になることは久々だった。

それでそういった音楽が喚起する意識、イメージに気を取られていたためか、疲れが溜まっていたこともあったのか、なぜかいつも降りる駅の一駅前でふらっと立ち上がり、電車を降りてしまった。しばらく駅のベンチに座り少し前後不覚になったような、ぼんやりとしながら、現代詩人中村稔の「丸の内仲通り」という詩の一節が頭に浮かんだ。

丸の内のビルの間から見上げる空は低い。
土曜日の午後、人影が途絶えて、
私は仲通りを歩きながら放心している。
私がどこにいるのかを忘れている。

そして中村稔は「寒夜独絃」で「せめて心の平衡を保つことだ」と言っている。

この、「せめて心の平衡を保つこと」という言葉を折に触れて反芻している。

昔は歌詞を考えていたり、本を読むことに没頭して想像の世界に浸っていると、その後日常の生活や仕事で必要な事務言語的な頭に速やかに切り替えることができず苦労をしていた。いまではそれらの頭のモードの切り替えや、詩的なイメージをひっそりと養いつつ、事務言語的な暮らしを送ることもできるようになったが、たまにそのバランスを取るのが難しいことがある。そんなときに、「せめて心の平衡を保つこと」という言葉を警句として己に唱えている。

今読んでいるコリン・ウィルソンの「宗教とアウトサイダー」でコリン・ウィルソンは会社勤めや生活が創造性を破壊することに耐えられず、すぐに仕事を辞め職を転々をしていたを書いているが、弁護士業と詩人を何十年も続けてきた中村稔を考えるとなんて弱々しいのだろうと思った。

中村稔の詩のように、強く瑞々しくありたいと思いながら、「せめて心の平衡を保つことだ」と独り言ちた。

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