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内なる意識(霊性、スピリチュアリティ)

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内なる意識(霊性、スピリチュアリティ)のnote
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マガジン:内なる意識

マガジン「内なる意識」はマガジン「瞑想する人 noteⅠ」「瞑想する人 noteⅡ」「密教」の中で「内なる意識」に特に関連の深いnoteが含まれています。 この内なる意識は、この「瞑想する人」の瞑想実践においては非常に重要なものです。 内なる意識とは?内なる意識の厳密な定義はまだありません。 とりあえずは、日常生活をおくる時とは違ったもので、瞑想などによって明確になる意識としています。 またある程度安定した瞑想状態(瞑想態)によって現れてくる意識であるとも よく説明して

道次第の考察 ―― 顕教と密教、生命エネルギー、生起次第、究竟次第

金剛大乗(金剛荘厳)の実践(道次第)についての考察。 マガジン:金剛大乗 顕教の実践を通しての内的な理解の把捉――功徳 顕教(の実践)とは、慈悲、非利己的なエゴのない愛を実践することとしている。 この慈悲の実践自体は、個人的にも社会的にも評価されるものであり、大乗の精神に沿ったものである。  この顕教の目標の一つとしては、とくに顕教と密教の両方を重視する視点から密教との関係で思索すると、それは「内的な理解」、歓喜、生命欲動を見いだすことであると考えることもできる。  

密教の資格。密教との関係で顕教について

この瞑想する人noteの中では唯一のスピリチュアルな実践である金剛大乗における顕教について、密教実践の資格について、思索をメモしておきます。 マガジン:金剛大乗(金剛荘厳) 関連note: 顕教の本質 ―― 顕教から密教へ この瞑想する人noteでは、顕教を「霊性(智慧・慈悲)、四無量心、慈悲、非利己的なエゴのない愛・愛他を、自分自身、自分自身の態度、行動、人生に適用し実践すること」としています。 またこのことに役立つもの、それが宗教であれスピリチュアルであれ、哲学や

とあるバクタ(バクティヨガの人)のつぶやき 神は愛であるということ、神への信仰と礼拝、神への愛、愛・慈悲の実践においてエゴを失うこと、そして神の愛 ―― これらは一つのものであるという意識の体験があるのではないだろうか。  画像引用元:チベット仏教普及協会(ポタラ・カレッジ)

霊性と密教(生命エネルギーの実践)についての説明。ヤマ(禁戒)、ニヤマ(勧戒)、精神性、智慧

BGM:バッハ Cantata BWV 147 「Herz und Mund und Tat und Leben」 前回に続き、またまたスピリチュアルにかぶれた気まぐれの思いつきの文章です。 前回note: 密教、生命エネルギーの実践に関するヤマ・ニヤマ、精神性について 生命エネルギーの実践について、体系的な説明を願っている。 これは、今現在、このような特殊な実践を探究している者たちだけではなくて、後世に続く実践者達にも必要なものだろう。 また類似する実践にたずさ

【スピ系雑話】もし神を体験することがあるのなら

BGM:バッハ 「われらが神は堅き砦」BWV80 これは詩篇91番ではなくて、詩篇46番によるマルティン・ルターのコラールからのもの。  最近バクティヨガや、シルバーバーチ、エドガー・ケイシー、ニューソートなどの米欧スピリチュアルについて触れることがありました。 この影響で「エドガー・ケイシーの占星学」のnoteを投稿しました。 関連note:【運命論vs.意志 編】エドガー・ケイシーの占星学④ 占星学と意志 今回もスピ系雑話をnoteに。 あくまでスピ系にかぶれた気

心の浄化について

BGM:バッハ BWV1 Chorale Wie bin ich doch so herzlich froh 前回のnoteで、顕教を重視する理由の一つに「自浄其意、心の浄化」をあげました。 では心の浄化とはどのようなもののことだと考えればよいのでしょうか? 「善」と「悪」金剛大乗(金剛荘厳)においては、心の浄化は主に顕教の実践によってなされるものだとします。 「悪」を避け「善」を行うことによってなされるものだとします。 では善とは何であり、悪とは何なのでしょうか?

マガジン:金剛大乗(金剛荘厳)

マガジン:金剛大乗(金剛荘厳) 金剛大乗(金剛荘厳) この瞑想する人noteでスピリチュアルな思想、実践とするのは、ただ一つ、金剛大乗(金剛荘厳)のみです。 瞑想であれ、ヨガであれ、呼吸法、生命エネルギー、リトリート、断食、明晰夢、夢見、占星学、、、、であれ、何を探究するにことにおいても、その主軸、根本、基盤には金剛大乗があるべきとします。

【バクティ】信仰・礼拝の対象について

“ 荒野に 主の道を備え、 砂漠に われらの神のために大路をまっすぐにせよ ”  イザヤ書40:3 “ イエスは言われた。 「あなた方が、この山でも、エルサレムでもないところで、父なる神を礼拝する時が来る。 まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。 神は霊であるから、礼拝する者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」”  ヨハネ福音書4:21-24 またエゴのない愛、ワンネスとかの欧米系スピリチュアルにかぶれた話。 ちょっと弁解も。 信

「智慧」と「慈悲」について

春の大三角(アークトゥルス、スピカ、デネボラ)  この瞑想する人noteでは仏教の『智慧』、『慈悲』という用語を剽窃して用いています。 この瞑想する人における「智慧」とはどう考えればいいのでしょうか? 今回のnoteは結果としては、「エゴのない愛」「自己超越」といった内容があるため、欧米キリスト教圏のよくあるスピリチュアルに寄った話になっているかもしれません。 「内なるものへ・超越」の欲求と「智慧」 「内なるものへ・超越」の衝動・欲求、その歓喜などが、この瞑想する人n

一なる生命の意識? シヴァとシャクティの合一   (ヨガ・瞑想の思索)

メモ殴り書き クンダリーニ クンダリーニは(根源的な)「生命エネルギー」と表現されている。 これは人体の生命現象・生命活動に関係するものなのだろう。 では人体のどういった生命現象・活動と関係するのだろうか。 それはやはり、とくに人間の意識・精神(意思、感情、情操、情動、欲動、、、)と密接に結びついた生命活動なのではないだろうか。  クンダリーニなどと呼ばれるこの生命エネルギーは、平素は、人体の中枢神経、自律神経の内に、(そして意識の内に、)いわば埋もれている。 特殊な状

「大乗」について

BGM: バッハ、カンタータ、BWV1「Wie schön leuchtet der Morgenstern(明けの明星の輝きのなんと美しいことよ)」より “ あぁ なんと美しい 輝ける明けの明星よ 主の恩寵と真実に満ちる いと甘美なエッサイの根 ヤコブの家から出でし ダビデのひこばえよ …….” ちなみにイエス キリストのことを輝く明けの明星とするのは、ヨハネ黙示録にあるようです。(ヨハネ黙示録 22:16。他 参考 イザヤ書 11:1~) 関連note: 今回言い

金剛荘厳(金剛大乗) / マハームドラー(大印契)

思索・探究の方向性について。  今のところ他には思いつきません。果たしてこの方向性が適切かどうか。単なる思想やスピリチュアル、信仰の絵空事ではなくて、生物学的にも人間に根ざすものなのかどうか? 思索・探究の方向性が大筋でも定まったのなら、あとは実践あるのみです。 瞑想によって探究し、自らの人生、日々の生活に適用・実践して探究するのみ。 オン ア ラ パ ツァ ナ ディーヒ! 正しい理解が得られますように マガジン:金剛大乗(金剛荘厳) 金剛荘厳(金剛大乗) 「金剛

純粋意識 ――― 脳ミソと意識と瞑想についての思索。 各種ヨガ・瞑想の共通基盤?

瞑想法には様々なものがありますが、その基礎的なものは共通するのかもと思索することがあります。 関連note: BGM:バッハ「フーガの技法」 ムジカ・アンティクヮ・ケルン 意識・認識作用は脳に依存する 意識・認識作用は脳ミソによって生み出されます。これについては疑いようがないです。 精神世界、スピの人たちの中には、「脳が意識を生み出す」という主張は唯物的であり自分たちの信仰を傷つけると考えて嫌がる人がいるでしょう。 しかし、これは魂など超越的な存在を否定するものではな