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27 結婚したい女たち 裏切り

夜の八時。夕飯の片付けを終えて明日の朝食の仕込みも終えた香はお風呂に入ろうと自分の部屋へパジャマを取りにいった。その時机の上のスマホが鳴った。一花からの電話だった。

もうずっと畑には行っていないしお琴からランチの誘いも来ないから随分長いこと会っていない。「畑へおいでよ」という誘いだろうか。そろそろ収穫のはず。行きたいけど収穫だけ行ったらあの実紀にどんな嫌味を言われるかわからない。自分から行くのは気が引ける。でも一花の誘いならと喜々として出ようとした。しかしその瞬間、暗雲が立ち込めるような不安を感じた。

連絡はいつもLINEラインで来る。香が専業主婦さながらに家事をしている状況を何かと気にかけてくれる一花なのに家事で忙しい夜にわざわざ電話をしてくるなんて。小さなことだけどいつもと違う。おかしいと香の直感が働いた。
(なにかあったのかな)
不安になった香はベッドに腰掛けてざわめく心のまま電話に出た。

「もしもし」

「あ、香、夜にごめんね。あのね聞いてるかな。お琴から」

いつもちゃきちゃき元気な一花が夜だからだろうか、かすれて疲れた声だった。

「なにを?お琴から連絡ないよ。なに?」

一花が沈黙した。ズバズバものを言う一花が言いにくそうなのだ。香の不安は底知れず広がっていく。言いたいことは何でも言い合える大親友のはずなのに畑に行かなくなっただけでこんなにも遠くに感じるようになるなんて。不安の中に悲しみが散らばっていく。しかし吐くようにつぶやいた一花の言葉が不安の先に隠されていた狂乱の中へと香を突き落とした。

「お琴がね、結婚するって」

香は自分が点になったように感じた。世界がぎゅっと凝縮されて香も呑み込んで黒いひとつの小さな点になったのだ。そして自分でも驚いたことに震える低い声でこう言った。

「お琴が一花には言ったの?」

「ううん、実紀さんから聞いたの」

「実紀さん?」

香の声が強く大きくなった。実紀。それは香が一番聞きたくない名前だった。会わない間に一花とお琴がどれほどあの女と親しくなっていることか。それも癇に障る。どうしてあんな女と仲良くしているのか。そんな香に一花は実紀から聞いたことをそのまま話した。

隣の西中之村で農業をしている知り合いから「どこか空き家知ってる?うちに手伝いに来てくれる朋君が今度結婚するからって家を探してるの。農業のできる古民家に住みたいって」と相談されたそうなのだ。

「その朋君が市内で小学校の先生をしているコトちゃんと結婚するって言うのよ。大きな車に乗ってて手作りのパンがおいしいコトちゃんと。しかもうちの畑に来てるって。お琴ちゃんのことよね」

と実紀に訊かれても一花は何も言えなかった。


「それってお琴のことじゃん!」

香は叫んだ。この感情は何だ。香の上半身がわなわなと大きく揺れ始めた。

「わたしもそう思う」

一花は力なく言った。
(香にも言ってないなんて。お琴どうして?)
涙が出そうになるのをいつもの癖でぐっとこらえた。しかしそんな一花とは真逆に香は泣きながら叫んだ。

「誰とも話したくない!もう連絡してこないでぇ!!」

全身からの叫びだった。通話を切ると触っていたくもない汚いものを手放すようにスマホを正面の壁へ向かって放り投げた。そして天を仰ぎ小さな口を裂けんばかりに開いて「うわーん」と大声で泣いた。

(連絡がないと思ってたら自分だけ結婚!私たちに黙って!!)

悲しみと怒りが香の中で爆発した。お琴がこんなひどいことをするなんて。あのお琴がどうして?いや、お琴はもういないのだ。香の知っているお琴はもういない。一花だってそうだ。もう知らない人。実紀なんかと仲良くしている一花なんてもう知らない!私は一人。独りぼっちになってしまった。悲しみが怒りを圧倒して流れる涙と溶けてしまいそうなほどに香は泣いた。

するとミーちゃんが体をこすりつけて来た。我に返った香がミーちゃんの頭を撫でると嘘のように涙が止まった。胸に抱くとゴロゴロと喉を鳴らす。それを聞いていたら気持ちも静まった。そして思い出したのだ。ミーちゃんと出会った頃もこうだった。

ちょうど付き合っていたひとと別れて、別れたと言うか捨てたと言うか香にとってはただつまらなくなって会わなくなっただけなのだけど相手の男は大泣きしていた。同じ会社で働いていたから会社では顔を合わせる。そんな時は変わらずにこりと微笑む香だったがプライベートでは無表情になってしまう。だって一緒にいてもつまらないのだ。

「香が冷たくなった」とビービー泣かれても香は冷めた気持ちをどうすることもできなかった。半年もかかったがどうにか未練がましい泣き声の連絡も来なくなってホッとしていたら彼は会社を辞めてしまった。

それと前後するように香は結衣ちゃんに出会い結衣ちゃんの推しへの愛情の強さに感動して(私もそんなに好きになれる人が欲しい)と思うようになった。

結衣ちゃんが推しのコンサートツアーに忙しくて遊べなくなるとその想いはますます強くなった。そしてこの想いに比例するように夢中になる男のいない自分を惨めに思うようになった。孤独。身勝手に男を振った女の末路だった。

寂しさを紛らわすように一人で恋愛映画やドラマを見て過ごしていたのだけど、偶然にもミーちゃんに出会い溺愛するようになり孤独から抜け出したのだ。そして今もまたお琴に裏切られて一花とも絶交した香の孤独はミーちゃんが消してくれる。

今夜はミーちゃんと一緒に寝た。布団の中に入れても出てしまったが一晩中香の枕元にうずくまっていたから、ミーちゃんの気配を感じながら心穏やかに寝入ることができた。

(私にはミーちゃんがいる)

と思う香に孤独なんてないのだ。


つづく


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