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1 私が親孝行をするようになった理由(わけ)

 私が両親と向き合うようになったのは、ティク・ナット・ハンの本を読んだからだ。

 ちょうど一年前。今と同じ夏に読んだ。どの本なのかは覚えていないのだけど、ティク・ナット・ハンの言葉に全身で感動して、その言葉は心の隅々に響いた。そして浸食した。

 私の行動を大きく変えたのだ。

 どう変わったかと言うと、こんな感じだった。
 メモも取ってないから記憶を頼りに書いてみる。

  両親に限らず祖先から自分は出来ているという内容に、心が引っかかった。核家族で育っているから祖父母のことはほとんど知らない。しかも一緒に住んでいて育ててもらった両親のことさえ、私はほとんど知らなかった。だから、祖先と自分に関係があるなんて考えたこともなかった。

 でもティク・ナット・ハン氏は、祖先は自分の一部なんだと言う。先祖から引き継いでいるものがあると言う。

 そこで祖父母のことを考えてみた。もうみんな亡くなっている。一人は私が生まれる前に。一人は私が生まれた頃に。一人は私の物心がつくかつかないかの頃に。一人は私が大人になってから。

 一番記憶にある私が大人になってから亡くなった祖母のことを考えてみた。子どもの頃から、私はこの祖母にそっくりだと言われていたのだけど、自分ではそんなふうに思ったことはなかった。でも今振り返ると、確かに似ている。一人で楽しいとか。趣味が多いとか。体を動かすのが好きだとか。

 そんな祖母の家へ掃除をしに行ったことがある。廊下や障子の枠や、なんと食器棚の中にまでホコリが溜まっていたから、掃除道具を一式持って掃除をしに行ったのだ。でもあの頃はまだ私の掃除魔は開眼していなかったから、掃除の知識も技術も足りなかった。

 洗面台にこびりついたホコリがどうしても取れなかった。何年も積もりに積もったホコリは石化していて、どれだけ擦ってもとれなかったのだ。

 必死にごしごし擦り続ける私に祖母は「もういいからいいから。」と笑いながら言ってくれたけど、きれいにしに来た私としては何としてもきれいにしたかった。

 意地でもきれいにしようと頑張ったけど、ムリだった。

「もういいから、お茶入れたから飲みな。」

と言われ、あきらめた私は祖母の用意してくれたお茶と味のないお煎餅を食べたのだった。その時の気分は不満そのものだった。お煎餅に塩味さえなかったからではない。おばあちゃんが毎日使う洗面台をきれいにしてあげられなかった悔しさでいっぱいだった。

 けど今振り返ると、おばあちゃんはとても喜んでいたことに気がついた。

 そしたら、なんでもっと何度も通って掃除をしに行かなかったのだろうと後悔の気持ちが出て来た。一度しか掃除をしに行かなかったことが悔やまれて仕方なかった。年に一度、いやもっと、年に二度でも三度でも通えばよかった。きっとおばあちゃんは喜んでくれたはずだ。

 もう亡くなってしまったおばあちゃんには何もできない。しなかった自分への後悔しかない。悲しくて涙が出た。もうどしようもないことで泣いた私は「あっ!」と気づいた。

 ある!おばあちゃんのために今できること!

 それは、「父の世話をする」だった。

 おばあちゃんの子どもである父の世話をしたら、おばあちゃんは喜ぶに違いない。だって自分の子どもの世話をしてくれる人がいたら、嬉しいに決まっている。

 そこで、父への接し方を変えるようになった。

 父のことなんて全く知らなかった。何の興味もなかった。どんな人かさえ知らなかった。でもまずは珈琲を淹れるところから徐々に父との交流が始まると、こんな人間だったのか!とディスリが止まらなくなった。

 それについては今までのエッセイでちょこちょこと書いている。今もまだ父と向き合うことと格闘中だ。

 そして、母についても同じように世話を始めたのだった。

つづく

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