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だから日本人は和歌を詠む

「魂が揺さぶられた時、人は言葉を失う」
ということを以下の稿で書いた。
沈黙とは、実は多くの想いを伝えるものであって
決して無ではないということを暗に伝えた。

言葉にした途端、陳腐に陥ってしまう心情を
日本人はどのように伝えてきたのか。


けれど、人はそれでも、
なんとかしてその想いを言葉にしたい、伝えたいと思うものだし
そうなるのが自然な心の動きだ。
言葉にした途端、陳腐に陥ってしまう心情を
日本人はどのように伝えてきたのか。
そのことをずっと考えていた。
すぐに思いついたのは文豪の作品である。
悲しいとか寂しいとか、空しいとかいう心模様は
風景や情景に落とし込まれて表現された。
たとえば芥川龍之介の秀作短編『蜜柑』は
出だしから余すことなく「私」の心情を伝えている。

或曇った冬の日暮れである。私は横須賀発上り二等客車の隅に腰を下ろして、ぼんやり発車の笛を待っていた。とうに電灯のついた客車の中には、珍しく私の外に一人も乗客はいなかった。外を覗くと、うす暗いプラットフォオムにも、今日は珍しく見送りの人影さえ跡を絶って、唯、檻に入れられた子犬が一匹、時々悲しそうに、吠え立てていた。これらはその時の私の心もちと、不思議な位似つかわしい景色だった。

『蜜柑』芥川龍之介

「気が重かった」とか「憂鬱だった」とか「無気力でどうしようもなかった」とか
実際の心情をそのまま語るより遙かにどうしようもない重苦しさが伝わってくる。
芥川龍之介は「漠然とした不安」という言葉を残して自ら命を絶ったが、まさにここに流れているのはそれである。

日本人は以心伝心の得意な民族

ついでながら、この作品は秀作中の秀作で、私は講座などでも取り上げたりもしているが、人によっては読解できないことがあることを知った。
日本人は以心伝心の得意な民族で、それゆえに言葉で伝えることが西洋に比べて少ない。
ある世代以上にとっては、「愛している」という言葉は口幅ったくて言いづらいのではないか。
言わなくてもわかる、という呼吸が確かにあった。
けれどそれもある段階から薄れていった。
「言ってくれないとわからない」ということを大上段に立ち言えるようになり、「ちゃんと伝えない方が悪い」ということがまかり通るようになったのだ。
その可否はどちらでもいい。
時代の流れだと思う。
ただ、その結果、失ったのは、情景に込めた心情を読み解くといった「読解力」ではないだろうか。

芥川龍之介が夏目漱石の弟子であったことを知る人は少ない。
漱石に至っては有名な著作『吾輩は猫である』において
猫の観点で人間の様子を描写し、心の機微なども見事に描き出している。
それにより読者は自分の姿をも
第三者的な視点から見るようなことになり
なるほど本人(自分自身)にとっては真剣な悩み事も
客観的に観れば滑稽極まりないことなのだ、ということを暗に理解する。
それがこの作品の面白みになっているのだ。

日本人は感情を風景や状況に落とし込んでいくことに長けていた

漱石や芥川に限らず、作家は、いや、作家ではなくても、
日本人は感情を風景や状況に落とし込んでいくことに長けていた。
そのほうがより正しく伝わることを知っていたのだ。
だから、「愛している」と言うよりも
たとえば
「あなたと同じ風景を見たい」とか
あふれるような愛を感じた時に
「散りゆく花までもが二人を祝福しているようだった」
などと表現するのだ。
ちなみに上記は即興で今、思いつくままに書いた。

原点は和歌にある

では、そもそもの日本人が心象風景を描き出すことに長けていたのはなぜなのか。
ああ、そうか、と、私は合点がいったのである。
和歌だったのだ。
万葉の頃から、日本人はその心を和歌に託してきた。
ほとばしるような想いを、歌に詠むことによって伝えてきたのだ。

我が身こそ 関山越えて ここにあらめ 心は妹に 寄りにしものを

中臣宅守(なかとみのやかもり)の和歌である。
「自分の身はいくつもの関や山を越えてここにあるけれど、心は愛しいお前に寄り添ってしまった」という意味がくみ取れる。

その想い人である狭野弟上娘子(さのおとがみのおとめ)は、中臣宅守に次のような歌を送っている。

君が行(ゆ)く 道の長手を 繰(く)り畳(たた)ね 焼き滅ぼさむ 天の火もがも
(あなたの行く長い道のりを手繰り寄せて畳んで、焼き滅ぼしてくれる天の炎が欲しい)

命あらば 逢ふこともあらむ 我が故に はだな思ひそ 命だに経ば
(命さえあれば、また逢うこともありましょう。私のためにひどく心を痛めないでください。命だけでも無事でさえあったなら)

寂しいとか悲しいとかいった言葉は一言もないけれど、むしろその心情がひしひしと痛いほどに伝わってくる。

時代は下り平安の世ともなれば、さらに複雑な心情が織り込まれていく。
在原業平に紀友則(紀貫之のいとこ)は特別好きな歌人だが、梅や桜を次のように歌っている。

君ならで誰にか見せむ梅の花 色をもかをも知る人ぞしる (紀友則)

世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(在原業平)


あなた以外の、いったい誰に見せようというのでしょう、この梅の花を。「色も香りも知る人ぞ知る」には、「私の想いは、あなたにしかわからない」といったことを暗に含ませているのだろう。そこからさらに、あなたにだけ捧げたいのだ、という情熱が見えてくる。

日本人にとって桜は特別な花である。
咲き始めから花吹雪まで、桜の時期は日本中がやさしい幸せに包まれるような心地さえする。
それが感性豊かな平安貴族となれば、なおいっそうだったことだろう。
「桜がなかったら、どれほど春はのどかだろうか」
あっけなく散ってゆく桜に、みずからを重ねたであろうことも見えてくる。
胸が絞られるような切なさを感じる、私の好きな和歌である。

日本語の表現は翻訳できない


こうしてつらつらと書いてきたけれど、日本語というのは実に難しく、
実にうつくしいものだとあらためて思う。
日本語は翻訳ができず、日本語のまま使うことがよくある。
「津波」「武士道」「芸者」「禅」
世界語となった日本語もだいぶ増えてきた。
一部には、翻訳が出来ないような日本語はグローバルではない、という意見もある。
私は、翻訳できずともいいと思っている。
最古の言語かも知れない、それほど長い歴史を持つ言語が、林檎を二つに割るように訳されるわけがないのだ。

「わかること」「できること」を優先することによって失う能力がある

日本人には、和歌を詠むことを心から勧めたい。
和歌は言葉でありながら、右脳を使う。
理屈で読み解こうとしたら決してわからないのが和歌だ。
そこに描かれている情景を思い浮かべ、
感じてみることによってしかわからない。
もちろん読み解きはあるけれど、それを最初から頼りにしていては
言語能力がつかないと私は思う。
「わかること」「できること」を優先することによって失う能力があるのだ。

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