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それがあなたの本音なら #月刊撚り糸


半年付き合っている光輝に連れてこられたのは、街灯ひとつ見えない駄々広い草原だったので、私の心は大層昂ぶっていた。
何せ、しし座流星群が大量に降る夜である。
26回目の誕生日。
軽々しくおめでたいなんて言える年齢では無くて、
私にとっては今日までの日々が大勝負だった。

周りには瞬間を待ち侘びる仲間が沢山いる。
私たちも2人分のレジャーシートを轢いて、
お尻がくっつく位に近付いてゆっくりと夜空を見つめた。
夏だというのに夜はとても涼しい。
薄着なことを少し後悔したけれど、
少し肌寒い風も、
薄っぺらいレジャーシートで少しずつ痛くなってくる腰も
何だって平気に感じられた。
3歳年上の彼が、私の誕生日を祝うロケーションをここに選んだのは何かあるに違いないのだ。

「流れ星、何お願いするか決めてるの?」

私は無邪気なフリをして光輝の顔を見つめた。
光輝の口元は緩んでいる。

「当たり前だろ」

沢山の人がいるけれど、広い高原の中ではまばらに感じられた。
大体は2人組で時々ファミリーや、はたまたプロのカメラマンが1人でカメラを睨んでいたりする。

私はその中の1人。
だけど今日、誰よりも特別な流れ星を見る。

「あ!」

遠くのグループの叫び声へ、皆が一斉に視線を集めた。
声を出した本人は、人差し指で空を指さしている。
流れ星だ。

皆一斉に歓声を挙げながら、
右から左へ視線を流す。
私も同じように顔を動かした後、光輝の方を見つめた。

「お願い事するの忘れちゃった」

私は光輝の前でだけ、とびきり可愛くなる。
声のトーンも電話口くらい高くなるし、それだって無意識だから驚きだ。

「そろそろピークの時間だから、幾らでもお願い出来るだろ」

光輝の声に頷いた。
光輝は私には勿体ないくらい出来た男だ。
こうやって私の不安事を消してくれるし、
常に一歩前で答えを出して待っている。

「付き合おう」という合図は無くて、
私たちはいつの間にか、まるで必然のように恋人になっていた。
会った瞬間の感覚は今も鮮明だ。
まるで全身に電気が流れるような衝撃。
その衝撃の根本が心臓から来ていることに気付くのは、
そんなに長く掛からなかった。

この人と結婚がしたい。
この人なら絶対に、私を幸せにしてくれる。

「ほら、流れ星!」

彼の長いまつ毛を見つめていると、彼が人差し指を伸ばした。
再び周りから歓声が湧くと、その歓声に応えるように
流れ星は次々と姿を現す。
こんなに綺麗な流れ星の大群を見たのは、生まれて初めてだった。
人生で一番幸せなのは、間違いなく今だ。

私と光輝は一度顔を見合わせると、両手を合わせてお願いした。

「光輝と結婚出来ますように!」
「可愛い彼女が出来ますように!」


その瞬間、周りから聞こえるはしゃぎ声は、一気に雑音へと変わった。


流れ星が頭に落ちたような衝撃に、思わず光輝の方を見つめると、
光輝も同じ顔をして、私の方を見つめていた。

「えっと…みつき、俺と結婚したかったの?全然知らなかった」

光輝は冗談めいた顔で笑っている。
状況に追いついていないのは、光輝も同じだったようだ。

「でも俺たち、付き合ってないよね?」

流れ星は容赦なく降り注いでいく。
私たちは最早流れ星などを見ることも忘れ、
口を半分開けたまま見つめ合うことしか出来なかった。

「でも今日、私の誕生日…」

光輝が気まずそうに頭を掻いている。
周りは皆幸せそうに流れ星を見つめていて、突然空気の変わった私たちのことなど気にしてはいなかった。

「だってみつき、誕生日に過ごす人居なさそうだったし。
俺、そういう関係の人とも遊びに行ったりするから。
ていうか俺たち、付き合おうとも言ってないよな?」

気づけばもう、バチン!という大きな音と共に彼の頬を叩いていた。

私もきっと、驚いた顔をしていたと思う。
彼も口を開けたまま驚いた顔をして、それから
「ごめんな」と一言呟いた。
光輝は怒らなかった。彼は優しいのだ。
優しいから、色んな女の子が彼に近付くのだと思う。

私は急いでコテージに走ると荷物をまとめ、帰る準備をした。
光輝も走れば追いつく筈の時間はあったのに、
結局彼は顔を出さなかった。

こんなに不幸な人間に、星は容赦なく降り注ぐ。
それとも星たちは、私を慰めているつもりなのだろうか。
とにかく今はその輝きが、私の闇をわざとらしく照らし出しているようである。
一泊二日分にまとめた荷物は、少し大きめのカバンで充分だった。
それなのになんだかズシリと重たく感じた。
帰り際、彼の荷物の中に包装された紙袋が紛れ込んでいて、
それが私のものなのか確信は無かったが、
自分の荷物に突っ込んだ。

結婚をすると決め込んでいた私は誰よりも惨めで、
涙も出ないまま1人で歩いた。

「ちょっとすみません、そこの貴女」

引きずるように荷物を持っていた私に声を掛けてきたのは
私より一回りほど上の男性だった。
彼の側には天体望遠鏡にも見える長いレンズの付いたカメラが設置されていて、
彼がカメラマンだということはすぐに分かった。

髭が良く似合うが優しい瞳を持つ、大人な男性だ。
最初は返事をする気にもならなかったが、彼が1人でいるらしいことに安心をして立ち止まった。
幸せな人々を見るのが辛かった。

「貴女ちょっと、被写体になって頂けませんか?」

言葉には出さなかったが、私が1人だということに気付いているようだった。

「今、そういう気分じゃないんです」

彼は鞄から名刺と共に自身の作品集を取り出して、めげることなく私に差し出した。
確かにそれらは息を呑むような美しさで、天体は彼の得意分野であることも分かった。

彼の名前は芦田といった。

「貴女のアンニュイな雰囲気が、今日の星にぴったりなんです」

「こんなに綺麗な星に、私は似合いません」

彼は深く頷いていた。

「星は綺麗なだけじゃない。いろんな顔を持っています。
優しそうな光を醸し出す星も、近付いてみるとゴツゴツと尖っていたりする」

彼は手招きすると、カメラのレンズを差しながら
覗くように指示をした。
レンズの先は、確かに自分の眼から見る景色とは随分印象が違う。
地上から見れば優雅で何も気にせず流れているだろう流れ星たちも、
一生懸命生きた証が沢山感じられる。

「私は今、こんなに一生懸命生きて無いです」

断るつもりだった。
しかし先程から芦田の瞳は輝いている。

「そうでしょうか、貴方も一生懸命生きているように見えますが」

生命力の強い写真を撮る彼の言葉には説得力があった。
気を紛らわすには良いかもしれない。
私は荷物を置いて身軽になると、彼の目を見て頷いた。

「それじゃあ、少しだけなら」

芦田は心から嬉しそうに笑うと、
慣れたように位置とポージングを指定した。ポージングといっても難しいものではなくて、背景の星が如何に綺麗に映えるかの写真である。

彼の言う通り上を見上げると、
星は私に向かって一斉に飛び込んでくるようだった。
その光の強さに、思わず手で目を隠す。

カシャっという鈍くて且つ品のある音も、いつしか意識しなくなっていく。

「凄く良いです。僕が求めていたような写真だ」

芦田は一層輝いていたが、わざとらしい褒め言葉は掛けなかった。
時折本音のような呟きが私に向かって飛んでくる。なんだか照れ臭い。

星の美しさを全身で受け止めると、気付けば身体は随分と軽くなっていた。
まるで私の苦しみを吸い込んでくれているようで、自然と涙が出た。

「…その涙は、星と同じくらい美しいです」

芦田はカメラを下ろして、シャッターは切らずこちらを見つめていた。
慰めているつもりなのだろうか。
『星より』と言わないから、余計に本当の気がして糸が切れたようにしゃがみ込んだ。
彼は年上に見えるが、とても無邪気な人だ。

静かに風がそよぐ。
彼は私の側に寄ると、ワンポイントで流れ星の刺繍が付いた上質なタオルをくれた。

「まだ使って無いですから」

大人っぽい雰囲気を纏う彼は、どこか私に遠慮をして一定の距離を保ち続けている。
しゃがみ込んだ私の目線に合わせて手を伸ばしてきた彼には、思わず鼓動が高鳴った。

「今、私と芦田さんの背景はきっととても美しいですね」
「この瞬間を撮れないのはとても残念です」

彼の微笑みはとても優しかった。
彼は私を促すように手を差し出したままだったので、手を取って立ち上がった。

「私そろそろ帰ります。最後の電車に乗りたいんです」

私たちはまた一歩、距離を取った。

「では写真が出来たら送ります。
名刺に連絡先が書いてあるので、何かあればいつでも」

彼は深々とお辞儀をしていた。

「お誕生日おめでとうございます」

彼の言葉に驚いていると、彼は慌てて紙袋の方を指さした。

「包装のシール、ハッピーバースデーと書いていたので。違いましたか?」
「いえ、そうです。ありがとうございます」

私は初めて彼に微笑みを返すことが出来た。
遠く離れて振り返ると、最後には手を振っていて、私も自然と振り返した。

草原はまだ少し続いている。
それでも気分は随分と楽になっていた。
私は先程貰った名刺を出して、もう一度読み返した。

芦田 宏輝

「あしだ こうき」

彼の名前を呟くと、
流れ星はいたずらっぽく、
また一つ頭上を飛んで行った。

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