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【言霊ピンポン S.2 】第1週


No.1:sideM 「神の月」

10月といえば『神無月』。 全国の神様が出雲大社に出かけていなくなってしまうから、逆に出雲では『神在月』と呼ばれる。

と言われているけれど、実はこれは後付けらしい。 無=の、つまり『神の月』が正解という説がある。考えてみれば、10月は秋祭りの季節。

むしろ日本中が神様で盛り上がるもんな~と納得。 昨今は欧米の悪霊祭りの方が勢いあったりするけど……。

何にせよ一刻も早く無邪気にお祭りを楽しめる時が来て欲しいものである。


No.2:sideH「憑かれる」

悪霊と言えば…加門七海さんのエッセイ集『怪のはなし』の中に「愚痴や嘆きを糧にして、肥え太るナニカ」について書かれている。

誰かの「哀しみ」を餌にして肥えていくナニカがいる…というこの実話、わかる気がする。

ひとをいじめるのが好きな人。そんな人たちは、そのナニカに憑かれているのだと思う。

誰かを傷つけるの楽しい人は、自分を生きているようで、じつはそのナニカに取り憑かれ、操られているだけの人形……そんなことを思ったのでした。


No.3:sideM「無明」

愚痴といえば元は仏教用語で、別称を『無明』。 仏の教えを見失い、光のない闇をさまよう。

そんな不毛な状態のことを言うのだろうか。 確かに、愚痴って堂々巡りだもんね… ちなみに対義語は『悟り』。


No.4:sideH 「天上天下唯我独尊」

「悟り」と言えば、修行ありき…と思いがち。でも、ブッダの言うように『天上天下唯我独尊』=(人はすべからく等しく「在る」だけで尊い)……ことさえ肝に据えて生きられたら、悟ってることになるんじゃない?

とはいえ、人は須らく等しいと思える人はどれくらいいるのだろう。「自分は誰も差別しないし博愛主義だ」なんて言い切っちゃう人ほど怪しかったりする。

最近のニュースを眺めていると、人は歳をとるにつれ悟りから離れてしまう生き物なのかとも思う。


No.5:sideM「アイドル」

「尊い」と言えば、最近はいわゆる萌えという気持ちの上位互換として使われることも多い。

例えば、推しすなわちアイドル的存在への崇拝的な感情だったり。 アイドルという言葉自体、そもそもラテン語の偶像から来ているわけで、

崇め奉る存在だと考えればそりゃ尊いのも当然。

こういう言葉ってスラングとして軽く思われがちだけど、実はけっこう本質をついてるよなあと思う。


No.6:sideH「教団」

「偶像」と言えば……崇拝。人間ってやつは、崇拝するモノがあったほうが生きやすい、だってそれに平伏せば、従えばいいんだから…なんて思考になりがちだ。

そんな考えにNOと言い放った人がいた。そのひとの名はクリシュナムルティ。彼は『教団』を率いたものの、やがて解散する。彼は「組織的な礼拝も、大義 のために自身を犠牲にすることも、ひとを自由にはできない」と言った。そして、【あらゆる自由からしか、真理にはたどりつけない】………これを教団のリーダーだった彼が言いきったのがすごいと思うのです。


No.7:sideM「蛸」

「大義」と言えば、一見良いイメージのある言葉だけれど、大義名分となるとちょっと微妙。

殊に最近は大義名分があれば何をやってもいいと考える輩も多い気がする。

絶対の正義なんてものはそれこそ絶対ないわけで。戦争とは互いの正義のぶつかり合いである、というのはまさに真理。

個人的には相対の譲り合いこそ提唱したい。 ぶつかるよりもうまくすり抜ける部分を探してぐにゃぐにゃしようぜ。タコのようにクレバーに。


取材、執筆のためにつかわせていただきます。