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アマビエな日々『コロナのおかげで』

犬に襲われて、顔に噛みつかれて緊急手術を受けたことがある。
肺炎になって寝込んだこともある。
癲癇の発作を起こして路上で気を失ったこともある。

でも、「もしかして来月はこの世にいないかもしれない」と、
じわじわと、かつ、リアルに考えるのは今が初めて。

……コロナを認知しない親父がいて、コロナを理解しない2歳時のオヤをしております、米栗久三郎です。

(もしかしたら、来週死んでいるかも知れない)
(もしかしたら、来月、もう自分はこの世にいないかもしれない)

そんなことを、本気で考えて「支度」をはじめた。

地震や火山の噴火や、交通事故や心臓発作など突発的な出来事で死ぬかもしれない…と考えることは確かにある。

でもロシアンルーレットのように、誰が死ぬかわからない。
年寄りが、兄弟が、友達があっけなく死ぬかもしれない。
どこにいても、誰でも死ぬ可能性がある世界を泳いでいかなくちゃいけない日が来るなんて、考えてもみなかった。

感染症の専門家だったら、
紛争の起きている国で生きていたら、
テロとゲリラが身近な場所で生きていたら、もう少し地に足がついたカタチで受け止められただろう。

でも自分はノホホンと日本という『自称・先進国』で育ってしまったせいで、コロナウィルスの登場は不意打ちだった。

そんなわけで、
遺言は書いてないけど、パソコンや銀行のパスワードを相棒に教えたりの「支度」をした。
入院になったら子どもはどうするか、
自宅療養になったら、いやあっけなく死んだら子どもはどうするか…話し合ったり。
そうして考えていたら、心配なのは家族のことだけで、
仕事に関しては怨霊になるほど「やりのこしたこと」は無い。

そこで思い出したのだが、小学生の時、あだ名が『ご先祖さま』だった。

幽霊のように影が薄かったからか、
平家物語だの吾妻鏡だの読み漁っていたからなのか、とにかくそう呼ばれていた。
小学生の時に発症した癲癇の発作を起こすと記憶が飛ぶし、
意識を失う場所によっては死ぬかも知れないこともあって、
生きることへの執着が薄かったのかも知れない。

いずれにしろ、薄々感じてはいたけれど、自分は平均よりは『生きたい』気持ちが薄いのだ。
それが良いとは思わないけれど、悪いことでもないだろう。

こんなふうに「生きる」を考えられるって、コロナのおかげだ。
自分が何を思い、生き永らえているのか…それを考えるのにいい機会になった。物書きとして世に出たいとか、お金持ちになりたいとか、世界をもっと旅したいとか、自分はそれほど興味がないのだ。

それよりも、自分がしたいこと。
それは、
「世界はどんな仕組みで動いているのか」
「理不尽で、不平等で、悪徳の栄えているこの世界はどうして存在するのか」
を読み解いて、それを明らかにする言葉を手に入れること。

それが、自分の生きている理由。

ここから危機の時代に生きる人々の様子を観察して、文章に落とし込んでいきたい…そう思っている。

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取材、執筆のためにつかわせていただきます。