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東京サルベージ【第39回◾️手相と納骨室】

先日、伯母の49日の法要に参加してきた。
93歳の天寿であったから、湿っぽい雰囲気ではなく、久しぶりに会う親族と和やかな会話を交わすという感じの会であった。
母方の伯母であったから、典型的な内弁慶である父の名代としての参列することになった。
天台宗の寺で、納骨の前に位牌を先頭に導師の読経のもと、ぐるぐるまわるという儀式があった。天台宗の寺だからそうだったのか、その導師の癖なのかはわからないが、とにかく読経をする導師にあとをぞろぞろとついて寺の庭をぐるぐると回ることとなった。

列席している親族の中では、故人とは近しい方の立場ではなかったが、比較的若いという理由で導師の指名で遺影を持つことになった。何十年と会っていない伯母の遺影を持つというのも何だか伯母に気をつかわせるようで悪い気がしたが、列席者のほとんどが70代以上であり、私にお鉢がまわってきたのだ。
隣にいた母が「あんたそれ誰かに代わりに持ってもらって卒塔婆を持ちなさい」としきりに言ってきた。そんな立場でもないのだから、持ちづらい卒塔婆を抱えた方が分相応ということだろうが、遺影をでかい声で何度も「それ」という母の無神経さと、一度導師から受け取った遺影を誰かにひょいと渡すのも失礼なような気がして黙殺した。

私は恥ずかしながらこの年まで納骨に立ち会ったことがなかった。正確にはあったと思うのだが、父の親族、母の親族でも私は生まれの遅い味噌っかすの立ち位置であり、当然そのような現場で前列の方に位置どることはないから、後方で「あー何かやってるな」くらいの感覚で喪服の群れの背中をぼーッと眺めていたのだろう。そんなわけで、遺骨というものが薄々墓の下に埋められているのはわかっていても、線香やらを捧げる台(これを「香炉」というのはそのとき知った)がぱかっとどかせて、その下の台座というか石板(これを拝石というのもそのとき知った)を外すと部屋(納骨室。以下同文)が出現するというお墓の機能的な間取りを初めて目の当たりにして「おおっ」と思う始末であった。
果たしてその中には、骨壺が2つ並んでいた。お墓の横の内訳書みたいな石によると、母の実家の墓は終戦前後に若くして亡くなった方や夭折した方がことさら多かった。

母によると、本当はもっと多く眠っているのだったが、墓地の改修の際に、古いお骨は土に溶けてしまって、私が生まれる少し前に20代でなくなった叔父と30年ほど前に80代で亡くなったその母である私の祖母の骨壺だけが置かれているとのことだった。

「骨壺同士がくっついちゃってずらせないんですよ」

墓地の係の方がそう言った。今安置されている骨壺を少し後ろにずらして新しい骨壺を納める予定だったが、骨壺どうしが接着してしまって動かせないらしい。

「おばあちゃんが、たーちゃんを離さないんだなぁ」

歩けない伯父に代わって喪主の代理をつとめていた従弟が感心したように言った。この「たーちゃん」というのが骨壺の叔父である。幼いころに一緒に暮らしていた従弟は覚えているそうだが、残念ながら私が2歳のときに病気で亡くなっているので私の記憶にはない。たーちゃんと仲の良い姉妹であったといろいろな人に聞かされていたから、母の表情はつとめて見ないようにした。

話は飛ぶが、若いころに一度だけ手相を見てもらったことがある。
横浜の中華街にある割とインスタントな感じのところで値段も手ごろだった。

「あなたは一生お金には困りませんね」

割とインスタントな感じの占い師はそういった。
「金持ちになれるということですか?」私が固唾を飲むと、「いえ、別に金持ちなれるというわけではありませんが、ただ不自由はしないということです。自由かどうかはわからないが、不自由はしない、と。」「はあ」私は喜んでいいのか悪いのかわからなかったが、まあ喜んで良いのだろうなと思った。
「あと、仕事はひとつのことに打ち込むんじゃなくて2つくらいされるといいですよ」
「2つ?」
「芸術系か文筆のお仕事なんかいいんじゃないですかね」
そういうことを志していたときだったので、何て千里眼を持つ素晴らしい占い師なんだろうと感心した。
彼は、最後に、にこりとするまでもなくこう続けた。
「若いころにお亡くなりになった親族の方がいらっしゃいますか?」私は、会った記憶がない母の弟の遺影を思い浮かべた。
「はい」
「その方があなたのことを守護してくれていますから幸運に恵まれます」

話を納骨に戻すと、結局試行錯誤のうえ、伯母の骨壺は予定の箇所より少し前で眠ってもらうことになった。私は神妙に伯母の遺影を両手で抱えながら(お久しぶりです。いつも守って頂きありがとうございます。やっとお会いできましたね。)と「たーちゃん」の骨壺に声をかけた。
(あの日、占い師に言われたことをアップデートされたくなくて、以来私は占いというものを受けていないのです。)

取材、執筆のためにつかわせていただきます。